2015年04月29日
ブーレーズ&ウィーン・フィルのマーラー:交響曲第3番
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ブーレーズはDGに相当に長い年数をかけて、着実に歩を進めながらマーラーの交響曲全集を録音したが、ブーレーズのアプローチはどの交響曲に於いても、殆ど変っていないように思われる。
本盤に収められたマーラー最長のシンフォニーであり、複雑で膨大な構造を持つ第3交響曲を、解析能力抜群のブーレーズはウィーン・フィルとともに壮大に描き切っている。
マーラー嫌いにこそ真髄が味わえるとさえ感じさせるブーレーズによるマーラーチクルスは、すこぶる冴えわたっている。
かつては、作曲家も兼ねる前衛的な指揮者として、聴き手を驚かすような怪演・豪演の数々を成し遂げていたブーレーズであるが、1990年代に入ってDGに録音を開始するとすっかりと好々爺になり、オーソドックスな演奏を行うようになったと言える。
1970年代までは、聴き手の度肝を抜くような前衛的なアプローチによる怪演を行っていたが、かつての前衛的なアプローチは影を潜めてしまった。
もっとも、これは表面上のことであって、必ずしもノーマルな演奏をするようになったわけではなく、そこはブーレーズであり、むしろスコアを徹底的に分析し、スコアに記されたすべての音符を完璧に音化し、細部への拘りを徹底した精緻な演奏を成し遂げるべく腐心しているようにさえ感じられるようになった。
むしろ楽曲のスコアに対する追求の度合いは以前よりも一層鋭さを増しているようにも感じられるところであり、マーラーの交響曲の一連の録音においても、その鋭いスコアリーディングは健在である。
演奏においても、そうした鋭いスコアリーディングの下、曲想を細部に至るまで徹底して精緻に描き出しており、他の演奏では殆ど聴き取ることができないような旋律や音型を聴き取ることが可能なのも、ブーレーズによるマーラー演奏の魅力の1つと言えるだろう。
もっとも、あたかもレントゲンでマーラーの交響曲を撮影するような趣きも感じられるところであり、マーラーの音楽特有のパッションの爆発などは極力抑制するなど、きわめて知的な演奏との印象も受ける。
したがって、「第3」で言えば、ドラマティックなバーンスタイン&ニューヨーク・フィル(1987年ライヴ)やテンシュテット&ロンドン・フィル(1986年ライヴ)の名演などとはあらゆる意味で対照的な演奏と言えるところである。
もっとも、徹底して精緻な演奏であっても、例えばショルティのような無慈悲な演奏にはいささかも陥っておらず、どこをとっても音楽性の豊かさ、情感の豊かさを失っていないのも、ブーレーズによるマーラー演奏の素晴らしさであると考える。
作曲家のアイデンティティとも言える「角笛」シリーズの一隅を成す「第3」は、言わずもがなの壮大なスケールと切れの良さに繊細なフレージングの妙味が加わって無敵の演奏が繰り広げられている。
同曲は比較的大編成のオーケストラを要するため、音響バランスに注意が必要だが、ブーレーズの耳の良さ及び分析力のよって、見事に表現されている。
さらに、ウィーン・フィルの優美な演奏が、本演奏に適度の潤いと温もりを付加させていることも忘れてはならない。
特に第3楽章の舞台裏ポストホルン(首席トランペットのシューによる見事な吹奏)のノスタルジックな美音も印象的だ。
ウィーンの音楽家たちを率いて、ここまで客観的・分析的な演奏を構築した上に、総体としては“楽しめる”ものに仕上げる手腕は、いつまでも“作曲家の視点”ばかりを指摘していても的外れに終わってしまう、演奏家としての周到さと円熟を披瀝している。
バロック・オペラから現代作品まで幅広く、深みのある歌唱を繰り広げる絶好調のフォン・オッターの共演も話題性を超えたコラボレーションとして結実している。
加えてウィーン少年合唱団、ウィーン楽友協会女声コーラスも最高のパフォーマンスを示している。
演奏に刺激されてか、細部と総体のバランスも絶妙なすこぶる優秀な録音に仕上がっている。
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