2015年07月15日
ベーム&ベルリン・フィルのモーツァルト:後期交響曲集
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ベームの音楽は厳格さの中に暖かな眼差しを感じさせ、押し付けがましいところがなく、いわゆるヴィルトゥオーゾとは違ったタイプの人間味豊かな巨匠であった。
ベームは独墺系の作曲家を中心とした様々な楽曲をレパートリーとしていたが、その中でも中核を成していたのがモーツァルトの楽曲であるということは論を待たないところだ。
ベームが録音したモーツァルトの楽曲は、交響曲、管弦楽曲、協奏曲、声楽曲そしてオペラに至るまで多岐に渡っているが、その中でも1959年から1960年代後半にかけてベルリン・フィルを指揮してスタジオ録音を行うことにより完成させた交響曲全集は、他に同格の演奏内容の全集が存在しないことに鑑みても、今なお燦然と輝くベームの至高の業績であると考えられる。
現在においてもモーツァルトの交響曲全集の最高峰であり、おそらくは今後とも当該全集を凌駕する全集は出て来ないのではないかとさえ考えられるところだ。
本盤に収められた後期交響曲集は当該全集から抜粋されたものであるが、それぞれの楽曲の演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。
ベームは、モーツァルトを得意とし、生涯にわたって様々なジャンルの楽曲の演奏・録音を行い、そのいずれも名演の誉れが高いが、その中でもこれらは金字塔と言っても過言ではない存在である。
近年では、モーツァルトの交響曲演奏は、小編成の室内オーケストラによる古楽器奏法や、はたまたピリオド楽器の使用による演奏が主流であり、本演奏のようないわゆる古典的なスタイルによる全集は、今後とも2度とあらわれないのではないかとも考えられるところだ。
同様の古典的スタイルの演奏としても、ベーム以外にはウィーン・フィルを指揮してスタジオ録音を行ったレヴァインによる全集しか存在しておらず、演奏内容の観点からしても、本ベーム盤の牙城はいささかも揺らぎがないものと考える。
本全集におけるベームのアプローチは、まさに質実剛健そのものであり、重厚かつシンフォニックな、そして堅牢な造型の下でいささかも隙間風の吹かない充実した演奏を聴かせてくれていると言えるだろう。
この録音の頃のベームには、まだ最晩年ほどテンポの遅さからくる重苦しさがなく、本演奏においてはいまだ全盛期のベームならではの躍動的なリズム感が支配しており、テンポも中庸でいささかも違和感を感じさせないのが素晴らしい。
モーツァルトの音楽のもつ、しなやかな表情や、甘美な情緒よりも、構成的な美しさや、内容的な芯の強さをあらわした演奏で、感傷的な流れに陥らず、きわめて硬質な、しっかりとした表現である。
作品のもつ愉悦的な明るさは、いまひとつ直接的に伝わってこないが、老大家ベーム特有の深い味が滲み出ている。
ベルリン・フィルも、この当時はいまだカラヤン色に染まり切っておらず、フルトヴェングラー時代の名うての奏者が数多く在籍していたこともあって、ドイツ風の音色の残滓が存在した時代でもある。
したがって、ベームの統率の下、ドイツ風の重心の低い名演奏を展開しているというのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。
このような充実した重厚でシンフォニックな演奏を聴いていると、現代の古楽器奏法やピリオド楽器を使用したこじんまりとした軽妙なモーツァルトの交響曲の演奏が何と小賢しく聴こえることであろうか。
本演奏を、昨今のモーツァルトの交響曲の演奏様式から外れるとして、大時代的で時代遅れの演奏などと批判する音楽評論家もいるようであるが、我々聴き手は芸術的な感動さえ得られればそれでいいのであり、むしろ、軽佻浮薄な演奏がとかくもてはやされる現代においてこそ、本演奏のような真に芸術的な重厚な演奏は十分に存在価値があると言えるのではないだろうか。
いずれにしても、本盤は、モダン・オーケストラによるスタンダードな超名演と言えるだけの質を持っており、今後とも未来永劫、その存在価値をいささかも失うことがない歴史的な遺産であると高く評価したい。
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