2015年05月18日
アバド&ロンドン響のモーツァルト:交響曲第40番、第41番「ジュピター」
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アバドが初めて録音したモーツァルトの交響曲がこの第40番と第41番「ジュピター」であった。
アバドの指揮する独墺系の作曲家による楽曲については、そのすべてが名演とされているわけではないが、本演奏の当時のアバドは最も輝いていた時期である。
ベルリン・フィルの芸術監督就任後は、借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するアバドではあるが、この時期(1970年代後半から1980年代にかけて)に、ロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団、そしてウィーン・フィルなどと行った演奏には、音楽をひたすら前に進めていこうとする強靭な気迫と圧倒的な生命力、そして持ち前の豊かな歌謡性が融合した比類のない名演が数多く存在していた。
本盤の演奏においてもそれは健在であり、どこをとっても畳み掛けていくような気迫と力強い生命力に満ち溢れているとともに、モーツァルト一流の美しい旋律の数々を徹底して情感豊かに歌い抜いていて、その瑞々しいまでの美しさには抗し難い魅力に満ち溢れている。
アバドは2曲共、ゆとりあるテンポを自由に設定しており、管弦に独特のバランスを与えて、モーツァルトの音楽の陰影を拡大してみせるような演奏を聴かせる。
半面、デュナーミクには振幅の大きさと独自の厳しさがあるため、ユニークな表現が生まれている。
その意味では、極めて複雑な演奏様式をもったモーツァルトと言えるが、緩徐楽章にも工夫がこらされており、アバドの自己主張が強く感じられる。
作品を冷静な視線でとらえながら、十分なる歌心でじっくりと歌い込んでいくいかにもアバドらしい仕事ぶりだ。
緻密でありながら推進力にとみ、客観的でありながら冷たくなることのないバランスのとれたモーツァルトであり、作品そのもののすがすがしさがかつてない新鮮さで浮き彫りになっている。
ワルターとカザルスが旧世代を代表する名演だとすれば、アバドは新世代による洗練されたモーツァルトだが、第40番は充実した音楽美のなかから詠嘆の情がそくそくと胸に迫る。
第1楽章のテーマの孤独感はそのレガート奏法とともに上品な哀しみを伝え、アタックはつねに柔らかく、再現部の第1主題(5:40)など、少しも歌っていないのにあふれるような心の表現となるのである。
第2楽章とメヌエットも強調のない寂しさが流れ、後者の中間部ではホルンのソフトな音色が聴く者を慰めてくれる(2:45)。
そしてフィナーレでは素晴らしいアンサンブルとリズム、デリケートな感受性が快く、第2主題(1:03)におけるテンポの変化は現今の指揮者には珍しいケースと言えよう。
「ジュピター」はさらに出来が良く、まことにしなやかで柔軟な棒さばきであり、デリケートなニュアンスに満ち、音楽性満点だ。
指揮者の鋭敏な耳は最高に瑞々しい音色と楽器のバランスを創り出し、第2楽章など、少しも歌っていないのに余情があふれてくる。
弱音に何とも言えぬ香りがあり、かすかな愁いさえ湛えているからであろう。
フィナーレも強靭な構築と内部の燃焼を、表面はいかにもスムーズに流麗に成し遂げたもので、微妙な色合いとアンサンブルの見事さは特筆に価する。
アバドの演奏でやや物足りないのは第1楽章で、美しいことは無類だが、今一つの壮麗な迫力がほしい。
しかし、モダン楽器による演奏で、ワルター、カザルス、バーンスタインなどの表現を好まない人には、最優秀の録音とともに、モーツァルティアンな耳の悦びを与えてくれるはずだ。
ロンドン交響楽団がこれまた素晴らしく、重厚さにはいささか欠けているきらいがないわけではないが、これだけ楽曲の美しさを艶やかに堪能させてくれれば文句は言えまい。
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