2015年07月05日
アーノンクール&コンセルトヘボウのシューベルト:交響曲全集
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アーノンクールは1953年、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを組織し、今日のオリジナル楽器による演奏のブームの火付け役となった。
しかし、アーノンクールはさまざまな顔をもち、それらが彼の中で統一した1つの世界を作っているところに、ほかの音楽家とは異なった側面をもっている。
つまり、アーノンクールは一時、ブレンデルと組んで話題を呼んだこともあるが、むしろ重要なのはヨーロッパ室内管弦楽団とロイヤル・コンセルトヘボウとの共演である。
それぞれアンサンブルの個性が異なることもあり、そこから生まれてくる音楽が全く異なるのには驚かずにはいられない。
アーノンクールはこの老練なコンセルトヘボウとの共演によって、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスのそれとは別の世界を切り開いてきたように思う。
このモダン楽器の、しかもシューベルトはこれまで幾度となくさまざまな指揮者のもとで演奏してきた楽団では、オリジナル楽器の演奏がアーノンクールが求めた奏法、とくに語りかけるようなフレージングやアーティキュレーション、そこから作りだされる非常に弾力感のあるアンサンブルをそのまま求めることはしないかもしれない。
事実、この録音はかなりストレートで、全体に張り詰めたような力動感が漲っている。
演奏でとくに印象的なのはやはり第8番である。
アーノンクールの手にかかるとすべての音が柔和な相貌を得、とくに楽器1つ1つがそれぞれの表情をもちだす。
アーノンクールはさまざまな解釈によって作品の表面に蓄積した分厚い化粧を削ぎ落として、作品の地膚の美しさを引き出そうとしているかのようでもある。
しかし、同時にアーノンクールはモダン楽器を用いたときの演奏の利点と楽しさと魅力も同時に引き出そうとしているようだ。
同様のフレーズで、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスなら行なわないだろうと思われる解釈を、むしろ楽しみながら実践している。
ダイナミックなクレッシェンドや、たたみ掛けるようなクライマックス効果などはそうした一例である。
アーノンクールの指揮では常にそうであるが、さまざまな、これまで聞こえなかった、あるいは聞き落していた旋律や動機がくっきりと聞こえてくるが、この演奏でもそうである。
演奏の透明度が非常に高く、対旋律や背後に隠れている旋律が、それぞれきれいに聞こえてくるが、この大編成の近代的なオーケストラでも同様である。
メリハリのある音の運びと爽快なテンポ感と独特なフレーズの構成は、これが大管弦楽団であることを忘れさせるほどにしなやかな音楽を作り上げている。
それに第5番も忘れ難い。
これは作品の編成そのものが小さいこともあり、より駆動性のある演奏が実現されている。
柔和に語りかけるようなフレーズと、独特ないわば語尾の表現はこの第5番でよく発揮されている。
アーノンクールはどうして聴く者をこれほどまでに期待感を抱かせ、引っ張っていくのであろうか。
アーノンクールの演奏を聴くとどうしてもその先が聴きたくてたまらなくなるのである。
その劇的なダイナミックスや駆動性は、この楽団との共演で見事に醸し出されている。
そして第7番《未完成》も感動的である。
語りかけるようなその演奏は、それぞれの旋律をまさしくディアローグのように仕上げている。
全体がドラマ仕立てになっているということも可能であろう。
アーノンクールとロイヤル・コンセルトヘボウによるシューベルトの交響曲全集は、これまでのシューベルト解釈に一石を投じ、全く新しい世界を開いたものとして画期的なものとなろう。
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