2015年08月18日
ショルティ&シカゴ響のブラームス:交響曲全集、管弦楽曲集
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ブラームスの交響曲全集は、現在カタログには40種類以上の現役盤がひしめいているが、結局、魅力度ということにかけては、ショルティ&シカゴ交響楽団が、圧倒的な貫禄であたりを睥睨している。
ショルティは先輩格のカラヤンと同様に、極めて広範なレパートリーを誇っており、数多くのレコーディングを行ったところであるが、意外な有名曲の録音をなかなかしなかったということがあった。
例えば、本盤に収められたブラームスの交響曲全集については、1977年〜1979年になって漸く初録音したところである。
その理由は定かではないが、まさに満を持して録音に臨んだだけに、スケールの大きな巨匠風の表現で、ショルティの名声をいささかも傷つけることがない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したいと考える。
演奏内容は、1970年代のベートーヴェンの交響曲全集同様、きわめて剛直・骨太で構築的な仕上がりを見せるが、叙情的な場面での気遣いもなかなかのもので、オーケストラのパワーと表現力がフルに生かされたきわめて立派な演奏である。
ブラームスにおけるショルティのアプローチは、例によって強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したものであり、その鋭角的な指揮ぶりからも明らかなように、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされていると言えるところだ。
ショルティは機能的に優秀なシカゴ交響楽団の名人芸をフルに発揮させて、タカ派とも言えるエネルギッシュで、戦闘的なブラームス像を描き上げている。
それでいて、1970年代後半に入ってショルティの指揮芸術にも円熟の境地とも言うべきある種の懐の深さ、奥行きの深さが付加されてきたところであり、本演奏にもそうした点が如実にあらわれている。
要は、ショルティを貶す識者が欠点と批判してきた力づくとも言うべき無機的な強引さが本演奏においては影を潜め、いかなる最強奏の箇所に至っても、懐の深さ、格調の高さを失っていないのが素晴らしい。
スケールも雄渾の極みと言えるところであり、いい意味での剛柔のバランスのとれたスケール雄大な演奏というのが本演奏の特質と言えるのかもしれない。
更にはブラームスの絶対音楽としての魅力を十分に堪能させてくれる本演奏に対しては、文句は言えないのではないかと考えられるところだ。
いかにもショルティらしい表現で、どの曲も堅固な造形でまとめられ、それが同時にショルティの資質と音楽的な特色を示している。
交響曲ではスコアに指定された反復を全て実行し、しかも各曲それぞれの性格が鮮明に表されているのが素晴らしい。
例えば第1番は妥当なテンポで堅実にまとめられながらも、そこに作品に必須の豪快さや劇性が存分に示されているのだ。
加えて第2番の風格豊かで明朗な歌、第3番の古典的な語法とロマン的内容のバランスのよさ、第4番の精妙にブレンドされた響きなど、現代的なコンセプトによるブラームスの典型的演奏と言って良い。
2曲の序曲とハイドンの主題による変奏曲も精緻な表現である。
そして、本演奏において更に素晴らしいのはシカゴ交響楽団の超絶的な技量であろう。
ショルティの指揮にシカゴ交響楽団が一糸乱れぬアンサンブルを駆使してついていっているところが見事であり、ショルティ統率下のシカゴ交響楽団がいかにスーパー軍団であったのかを認識させるのに十分なヴィルトゥオジティを最大限に発揮している。
かかるシカゴ交響楽団の好パフォーマンスが、本演奏を壮絶な名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。
セッションに使用された会場は、ショルティ&シカゴ交響楽団黄金時代のサウンド・イメージを世界に広めたシカゴのメディナ・テンプルで、名エンジニア、ケネス・ウィルキンスンの手腕が奏功してか、30年経った現在聴いても実に素晴らしいサウンドである。
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