2015年08月20日
ヴェーベルン出版作品全集
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この3枚のCDは2009年にリリースされたソニー・ブーレーズ・エディションに組み込まれていた6枚組のセットと同一のセッションで、この中から他の現代作曲家の作品をカットしてヴェーベルンのみの3枚を独立させたものだ。
微小形式にこだわりを見せた作曲家なため、その作品をかき集めても、CD3枚分が関の山である。
作品番号の付いた作品1から31までの全曲と作品5のオーケストラ版、更に編曲物2曲、バッハの『音楽の捧げ物』から「6声のリチェルカーレ」(録音は1967年から72年で、24bitリマスタリングによって鮮明な音像と極めて良好な音質が復活している)及びヴェーベルン自身の指揮によるシューベルトの『ドイツ舞曲』6曲を収録している。
後者は1932年にフランクフルト放送管弦楽団を振ったもので、音質は良くないが歴史的価値のある貴重なサンプルである。
演奏者にはロンドン交響楽団、ジュリアード弦楽四重奏団、ヴァイオリンにアイザック・スターンを迎えて、現在に至るまで全く遜色の無い高い演奏水準を維持しているセッションである。
オーケストラ作品は、ピエール・ブーレーズの指揮するロンドン交響楽団が中心になって演奏しているのだが、細部までコントロールされた精妙な音響は、若かりし頃のブーレーズならではの味わいだ。
ブーレーズは1990年代にベルリン・フィル、エマーソン弦楽四重奏団など演奏者を総入れ替えして、作品番号の無い曲まで組み入れた第2回目の録音になる6枚のCDをグラモフォンから出しているが、1990年代の新録音では、その怜悧さが幾分影をひそめてしまった。
この旧盤にはブーレーズの研ぎ澄まされた鋭い感性に導かれた覇気とひたむきな情熱が感じられる。
現代音楽を聴く面白みは作曲家が創作スタイルを目まぐるしく変化させていくところにもあり、それは時代の進展の加速化と表裏一体で興味深い。
微小形式へのこだわりから、小品しか作れない作曲家だったのではないかと言われることもあるが、シェーンベルクの指導の下で後期ロマン主義の音楽から決別するまでは、意外とロマンティシズムに傾倒した作品を手掛けていたらしく、その痕跡は、初期作の「夏風の中で」という作品に留められている。
ヴェーベルン初期の作品からは後期ロマン派の残響を引き摺りながら、ウィーンの世紀末的デカダンスを反映した喘ぐような歌が聞こえてくる。
作品1の『パッサカリア』や作品2の『軽やかな小舟で逃げよ』にはそうした特殊な美学がある。
その後彼の手法は無調や十二音技法に向かうが、作風は次第に透明感を帯びてきて、前者とは別の感性に訴えかけてくる不思議な魅力がある。
ある作曲家は、音楽作品は手を入れれば入れるほど自然になっていくという言葉を残しているが、あながち極論とも思えない。
しかしヴェーベルンの音楽は時代の最先端を行く超現実的とも言える洗練されたテクニックで作曲されたために、実際にそれらの作品が音として鳴り響いた時に、初めて耳にした聴衆の驚きや戸惑いもしごく尤もだったことは想像に難くない。
ヴェーベルンの微小な作品は、いわば、肥え太ったロマンティシズムの贅肉をそぎ落とした結果生み出されたものであった。
そうした作品の色気の残り香などは、グレゴール・ピアティゴルスキーの演奏するチェロのための小品からも感じ取ることができるだろう。
今日では、マウリツィオ・ポリーニのような、より精妙なピアニストによる演奏が楽しめるため、チャールズ・ローゼンのピアノは、冷徹さに欠けるという評も成り立つが、どこかほんのり暖かいローゼンのピアノは、個人的には好みである。
なお、シューベルトの『ドイツ舞曲』をヴェーベルン本人が指揮した録音も収録されているが、その艶やかな演奏を聴くにつけ、ウィーン人としてのヴェーベルンのアイデンティティを感じさせる。
ソニー・マスターズのシリーズには珍しく収録曲目と演奏者を掲載した6ページのパンフレットが挿入されているが、バジェット盤の宿命で歌詞対訳等は一切省略されている。
現在では日本語の対訳サイトもあるので個人で検索することもできるだろう。
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