2015年09月04日
クレンペラー&フィルハーモニア管のワーグナー:管弦楽曲集
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フルトヴェングラーやトスカニーニ、ワルターなど、綺羅星の如く大巨匠が活躍していた20世紀の前半であったが、これらの大巨匠は1960年代の前半には殆どが鬼籍に入ってしまった。
そうした中で、ステレオ録音の爛熟期まで生き延びた幸運な大巨匠(それは、我々クラシック音楽ファンにとっても幸運であったが)こそは、オットー・クレンペラーであった。
クレンペラーは、EMIに対して膨大な点数のスタジオ録音を行ったが、その大半はこの大巨匠の指揮芸術の素晴らしさを味わうことが可能な名演揃いであると言っても過言ではあるまい。
そうした押しも押されぬ大巨匠であるクレンペラーのレパートリーの中心は独墺系の作曲家の楽曲であったことは異論のないところであるが、そのすべてが必ずしもベストの評価を得ているわけではない。
特に、本盤に収められたワーグナーの管弦楽曲集については、賛否両論があるものと言えるだろう。
当時の独墺系の巨匠指揮者に共通するものとして、クレンペラーも歌劇場からキャリアをスタートさせただけに、ワーグナーのオペラについても得意のレパートリーとしていた。
本盤には、ワーグナーの有名な管弦楽曲である歌劇「リエンツィ」序曲、歌劇「さまよえるオランダ人」序曲、歌劇「タンホイザー」序曲、歌劇「ローエングリン」第1幕への前奏曲、第3幕への前奏曲、楽劇「マイスタージンガー」第1幕への前奏曲、楽劇「トリスタンとイゾルデ」から前奏曲と愛の死、そして長大な楽劇「ニーベルングの指環」からの抜粋などが収められている。
このうち楽劇「ニーベルングの指環」については、クレンペラーは若き日より何度も指揮を行ってきたところであるが、残念ながらライヴ録音も含め現時点では全曲録音が遺されていないようである。
本盤の各楽曲のアプローチは、クレンペラーならではの悠揚迫らぬゆったりとしたテンポ設定による重厚かつ剛毅とも言えるものであり、どれも強い表現意欲に突き動かされたような名演ばかりだ。
どれもクレンペラーの演奏の特徴である、動的というより静的、でも細部の隈取がクリアで、いつも巨大なあざやかな壁画を眺めているようなところが良く現れた演奏となっている。
全体に寸分の揺るぎもない重厚な演奏で、そのリズムは、巨人の足どりのようにずっしりと重いが、これが本当のワーグナーの響きというものだろう。
フルトヴェングラーのようなテンポの思い切った振幅やアッチェレランドなどを駆使したドラマティックな表現などは薬にしたくもなく、限りなくインテンポを基調したものと言える。
テンポ設定だけを採れば、同時代の巨匠で言えば、ワーグナーを十八番としていたクナッパーツブッシュの演奏に限りなく近いと言えるが、深遠かつ荘重な演奏とも言えたクナッパーツブッシュの演奏に対して、クレンペラーの演奏は、深みにおいては遜色がないものの、前述のように剛毅で武骨な性格を有していると言えよう。
これは、クレンペラーによるブルックナーの交響曲の演奏にも共通するところであるが、アクセントなどがいささかきつめに聴こえるなど、聴きようによっては、作曲家の音楽というよりは、クレンペラーの個性の方が勝った演奏になっているとも言えなくもない。
ことに、「ローエングリン」の格調の高さは特筆に値するが、そうした演奏の特徴が、前述のように、クレンペラーによるワーグナーの管弦楽曲集の演奏に対する定まらない評価に繋がっているのではないかとも考えられるところだ。
もっとも、こうした演奏は、他の作曲家、例えばベートーヴェンやマーラーの交響曲などにおける歴史的な超名演との極めて高い次元での比較の問題であり、そうした超名演との比較さえしなければ、本盤の演奏を一般的な意味における名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。
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