2015年07月05日
マゼール&ベルリン・フィルのツェムリンスキー:叙情交響曲
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本作は、ロリン・マゼールがディートリヒ・フィッシャー=ディースカウとユリア・ヴァラディ夫妻を迎えてベルリン・フィルと録音したアルバムで、アレクサンダー・ツェムリンスキーの代表作、《叙情交響曲》を一躍有名にしたデジタル初期(1981年録音)の名盤。
《叙情交響曲》は、シェーンベルクの師で、マーラーとも親交のあったツェムリンスキーの傑作である。
ツェムリンスキーに対する関心と認識は、かなり最近のことと言ってもよいであろう。
それは、後期ロマン派やシェーンベルクをはじめとする新ウィーン楽派への関心の副産物というのは言い過ぎであろうが、シェーンベルクの師であり義兄であるという認識は大きい。
そのツェムリンスキーの1923年の《叙情交響曲》は、その代表作でもあり、最近はいくつかの録音もあるが、これは世界初録音であった。
インドの詩人タゴールの独語訳テキストに、男女2名の独唱、大編成のオーケストラ。
明らかにマーラーの《大地の歌》を意識した内容であるが、生と死をモチーフとした《大地の歌》に比べ、こちらは男女の愛欲を濃厚に歌い上げている。
このツェムリンスキーの《叙情交響曲》は、1922年から23年という「新音楽」の誕生の時期にあえて《大地の歌》へのオマージュとして書かれたわけで、明らかに時代の潮流に逆らっていた。
官能を主題とした点では、スクリャービンの《法悦の詩》に通じるところがあり、全般に暗く濃厚なロマン派の音楽で、時には甘美に、または激しく愛を歌っている。
しかし、エロティシズムと神秘主義の間を揺れ動くその官能的な内容と壮大な交響楽的構成には、耽美的な後期ロマン派の遅れた成果という以上の魅力が備わっている。
特に調性語法の幅や、アリオーゾからシュプレッヒゲザングまでの声楽様式の幅など、実にドラマティックだ。
マゼールとベルリン・フィル、ヴァラディとフィッシャー=ディースカウという最上の顔合わせが得られた結果、その登場はツェムリンスキーへの理解を急速に強めたとさえ言える。
マゼールは決して音楽に溺れることなく、この大曲をまとめあげ、フィッシャー=ディースカウ、ヴァラディの独唱陣とベルリン・フィルもマゼールと息の合ったところを見せている。
豪奢で官能的な前奏曲の響きは、まごうことないベルリン・フィルの響きであり、この冒頭の歴史絵巻を思わせるような雰囲気が見事に全体に一貫しており、この雰囲気の持続はツェムリンスキーの要求通りと言えよう。
流麗なマゼールの解釈もすぐれているが、特に生と死を幻想的に気品をもって歌い上げた王子役のフィッシャー=ディースカウの歌唱は、タゴールの原詩の精神をよく伝えていて、バリトンの「英雄」的力感、ドラマティックな表現力と知的解釈の深さも印象的だ。
フィッシャー=ディースカウの薫陶を受けたであろうユリア・ヴァラディの旨さも特筆できるものである。
《大地の歌》との関連はともかくとしても、このロマン的な美しく魅惑的な世界は一聴に値しよう。
ウイーンの楽壇で指揮者、作曲家として高く評価されていましたツェムリンスキーは、ユダヤ系の出自のためにナチスの台頭後、シェーンベルクとともにアメリカに逃れた。
しかし、シェーンベルクが富と名声に包まれてロスで暮らしたのに対し、ツェムリンスキーは注目されることなく病気と貧苦に苦しんだ挙句、ニューヨークで斃死してしまった。
1980年代にようやく注目され、これはその一環として録音されたもので、時代の波に巻き込まれ、不当に評価された音楽家を発掘した意味でも貴重な1枚である。
この演奏を通して、いよいよツェムリンスキーの夢と現実の世界に魅せられていく人も多いはずだ。
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