2015年09月09日
ラトルのシェーンベルク:グレの歌
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本盤は、ラトルがシェーンベルクの『グレの歌』を、音楽監督就任を前にベルリン・フィルと録音したもので、2001年のベルリン芸術週間の目玉となった記念碑的公演のライヴ収録である。
シェーンベルク初期の大作『グレの歌』はロマン派の影響が濃いとされているが、実際、シェーンベルクの作品の中では珍しく存命中に商業的成功を収めた作品であることも納得の、ワーグナーらしさが充満した曲でもある。
演奏は非常にクオリティが高く、ベルリン・フィル初の『グレの歌』にふさわしい強力なサウンドが最大の聴きものとなっている。
このシェーンベルクの大曲には、これまでにも優れた演奏があるが、ラトルのこの演奏は透明度の高さと情感の豊かさが複合的に共存した点で特筆すべきものがある。
この時期は、ラトルが未だベルリン・フィルを掌握し切れていない時期の演奏ではあるが、何よりも、ラトル自身がオペラにおける豊富な指揮の経験により合唱や独唱者の扱いが実に巧みであることも相俟って、素晴らしい名演を成し遂げていると言えるだろう。
指揮者のラトルが打楽器出身で近・現代音楽に造詣が深いということもあってか、特殊奏法への配慮や打楽器パートの強調が実に面白く、「歌曲的な」アプローチとはだいぶ雰囲気の異なるものになっている。
大人数の合唱も凄い迫力で、第3部での幽霊たちの合唱にはまさに鬼気迫るものがある。
5管編成オーバーの巨大オーケストラと十分に渡り合う彼らのパワーは圧倒的であるが、それもラトルの適切な誘導があればこそであろうし、名高い男声12部合唱での仕上がりも完璧だ。
もちろん、静かな部分でのアプローチも優れており、各パートが十分に見通せる透明度の高さは、この作品におけるシェーンベルクのスタンスが、完成までに10年を要したという年月の経過ゆえに微妙に変化していたことさえ窺わせる精妙なもので、さすがはラトルと思わせる。
しかもラトルとベルリン・フィルは、この長大な叙事詩をあたかも室内楽的であると思えるぐらいの透明度の高い精緻さで演奏している。
楽器の数も多く編成も巨大で(この録音では総勢300人以上)、扇情的にド派手にやろうとすると分かり易い曲なのだが、本盤でのラトルの解釈はそういう熱狂からは少し距離を置いて、1音1音緻密にクリアな音を積み上げて音のボリュームを作り出している(勿論、これは演奏者側にも相当な力量が無いと難しい離れ業な訳だが)。
そういった「聴き易さ」も表現しているところに、ラトルの偉大さがあると言えるところであり、その巨大で複雑な管弦楽を見事に再現していくラトルとベルリン・フィルの凄演に感嘆する。
しかも、クールではなく、暖かい情感にみちた音空間を華麗に展開しているのだから、まさに驚きである。
むろん、本演奏においても、ラトルの得意とする合唱曲、そして現代音楽であるということもあって、思い切った表現を随所に聴くことが可能だ。
テンポの効果的な振幅や思い切った強弱の変化などを大胆に駆使するとともに、打楽器の鳴らし方にも効果的な工夫を施すなど、ラトルならではの個性が満載であり、ラトルの個性が演奏の軸足にしっかりとフィットし、指揮芸術の範疇を外れていないのが見事に功を奏している。
そして、ラトルは、合唱や独唱者の扱い方が実に巧いが、本盤の演奏においてもその実力が如何なく発揮されているとも言えるところであり、ベルリン放送合唱団、ライプツィヒ中部ドイツ放送合唱団、エルンスト・ゼンフ合唱団を見事に統率して、最高のパフォーマンスを発揮させている手腕を高く評価したい。
独唱陣では、山鳩役のアンネ・ゾフィー・フォン・オッターが圧巻で、『グレの歌』の内面的なクライマックスでもある「山鳩の歌」における重みと深みのある歌は過去最高と言いたくなる感動的な内容である。
その他では、クヴァストホフの農夫&語り、ラングリッジの道化が見事な仕上がりだ。
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