2015年06月22日
カラヤン&ベルリン・フィルのオネゲル:交響曲第2番&第3番「典礼風」/ストラヴィンスキー:協奏曲
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本盤は、現在ではあまり演奏される機会に恵まれないオネゲルの交響曲第2、3番とストラヴィンスキーの協奏曲(弦楽合奏のための)を収録したアルバム。
いずれもカラヤン唯一の録音で、手兵ベルリン・フィルと1960年代末に編み出した豊饒な音空間、深刻で神秘的な響きに酔いしれる1枚。
カラヤンは新ウィーン楽派やバルトークあたりを除いてさほど20世紀音楽を録音していないので、彼が録音したストラヴィンスキーの《春の祭典》とかショスタコーヴィチの交響曲第10番やプロコフィエフの交響曲第5番、そしてこのオネゲルの交響曲第2、3番あたりは例外的な珍品に属するのかも知れない。
しかし、第2次世界大戦の苦渋を純楽器交響曲に昇華させたオネゲルの名作2曲を、カラヤンは手兵ベルリン・フィルの緊張感溢れる弦のサウンドも相俟って、きわめて高純度な演奏で聴かせる。
とりわけこのCDは、カラヤンの現代音楽への取り組みの初期の録音だけあって貴重なもので、戦争中・戦争直後の時代が色濃く反映された作品を、高い集中力と緊張感で表現している。
一般的にはそれほど馴染みのないオネゲルの交響曲も、カラヤンの手にかかると実に説得力のある演奏になる。
2曲とも実に鮮やかなアンサンブルで、音楽の輪郭が明快だ。
第2番は弦楽合奏の表現がとても多彩で、しかも劇的な彫りが深く、音楽をおもしろく、しかもわかりやすく聴かせる演奏と言える。
第3番ではカラヤンの読みが常に鋭く、抒情と劇性の配分とその音楽的な効果が見事に表現されており、終楽章が特に傑出した演奏だ。
オネゲルの交響曲第2、3番は第2次世界大戦前後に書かれただけあって、重苦しい曲だが、カラヤンはそれだけで終始せず、この両曲の美しさと悲しみを巧みに表現している。
弦楽オーケストラの張り詰めたドラマの最後にかすかな救いのようにトランペットが聞こえる第2番、「怒りの日」や「深き淵より」が呼応する第3番、いずれも素晴らしい。
とりわけ弦楽器の緊密なアンサンブルが生み出す濃厚な官能性と輝きは、R.シュトラウスやマーラーの場合と同じで、地中海風というよりむしろウィーン世紀末風なオネゲル像が聴かれる。
この演奏は他の演奏に比べて粘着性が高く、演奏速度もかなり遅い部類に入り、まさにデュトワの演奏とは対極にあるようだ。
ヴェルディやチャイコフスキーばりに歌われる旋律については賛否もあろうが、交響曲第2番終楽章のくすんだトランペットや、交響曲第3番の中間楽章では、ゴールウェイのふくよかなフルートの音色を楽しむことができ、そうした色彩感だけでも至福の気分を味わうことができる。
特に第3番では、全体がきわめて劇的に表現されているだけでなく、その中に何時になく深い悲しみの表情が宿っているのが強く印象に残る。
カラヤンは「怒りの日」では重厚かつ凶暴に荒れ狂い、「深き淵より」では地の底で深く苦悩・思索し、「我らに平和を」では絶望に打ちひしがれ、救いを求めてのたうち回り、すべてに疲弊し果てた後に、ソロヴァイオリンによって奏でられる「天からの一筋の光」にかすかな救いを感じるという静謐さを高度な精神性を持って描いていて、聴き手の胸を抉る。
第2次世界大戦の悲惨な経験した1人として、カラヤンにとっても共感の持てる作品だったのだろう、同曲をこれほどまでに深く表現し、聴くたびに何かを考えさせられる深淵な演奏は珍しい。
それにしてもオーケストラの旨さ、ふくよかさ、きめの細かさはどうだろう。
当時のベルリン・フィルの弦楽器の粘ったテクスチュア感も凄い。
音響美だけに終わらず、カラヤンとしては珍しく曲への深い共感が感じられる1枚で、作品のツボを心得たカラヤンの流麗な解釈も改めて聴き手をひきつける。
ストラヴィンスキーの協奏曲(弦楽合奏のための)も傑出した演奏で、これらはカラヤン&ベルリン・フィル最盛期の名演と高く評価したい。
カラヤンも戦争体験者、懺悔の1枚であろうか。
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