2015年06月05日
ウィーン・モデルン I,II,III
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今は亡きアバドの提唱で1988年から始まった現代音楽祭《ウィーン・モデルン》、DGに遺した3つのライヴ録音が本盤に収められている。
モデルンという言葉はご存じのとおり、近代ないし現代を意味するドイツ語(英語のモダンと同じ)で、おそらく芸術について使われるときには「斬新な感覚を持っている」といったニュアンスが込められている。
ところが、この言葉がウィーンという名前で結びつくと、たちまち、懐かしいノスタルジックな響きにかわってしまうから不思議だ。
もっともこの10年あまり、ポスト・モダンを模索する動き、つまり近代を乗り越えて新しい時代を切り開こうとする動きが活発だったので、モデルン=近代という言葉そのものに「終わった時代」という印象があることも確かだ。
「近代は過ぎ去った良き時代」というわけである。
だが、《ウィーン・モデルン》という言葉に対する思いは、実はもっと具体的な、ある一時期への憧れと重なりあっている。
それは中世からハプスブルグ家の都市として栄えてきたウィーンが、真の意味で「現代音楽」と呼ぶことのできる最初の作品を書いた革命的な音楽家たちを擁していた時代、つまり19世紀末から20世紀にかけての、新ウィーン楽派の時代なのである。
その頃から、ウィーンには、古い伝統を守っていこうとするあまり、新奇なものに懐疑の目を向ける気質が根づいていた。
だから、シェーンベルクも現世的な成功には恵まれず、生涯、貧しく孤独な人生を送っている。
しかし、世紀末の爛熟を映したクリムトらのウィーン工房から、オスカー・ココシュカが巣立ったように、シェーンベルクは後期ロマン派のマーラーやツェムリンスキーらとの交流の中から、きたるべき時代の新しい語法を模索していった。
つまり古い伝統の中からモダンが生まれ、両者が同居しつつも火花を散らしている、そんな幅広い文化を懐に抱えていたのが、この時代のウィーンだったのである。
クラウディオ・アバドはあるインタビューの中で、ウィーンの町全体を現代の文化(モデルン)で満たそうという考えから《ウィーン・モデルン》を企画したと述べている。
そして、それが第2の故郷であり、古い音楽の伝統を持つ町だからこそ、あえてやってみたかったのだという。
とすれば、この現代音楽祭によってアバドがもくろんだのは、実はあの時代、シェーンベルクの時代のウィーンを、いまに再現することだったのではないだろうか。
そんな期待を窺わせるかのように、第2回の《ウィーン・モデルン》(1989年)では、ウィーンの若い世代の作曲家から3つの作品を紹介して「新しいウィーン」を印象づけているほか、音楽という枠を越えて、文学から絵画、演劇にも新しい作品を求め、それらの芸術に胎動している傾向を探ろうとしている。
ところで、私たちはこれまで、アバドが現代の前衛作品を指揮している演奏を聴く機会には恵まれていなかった。
アバドのレコーディングではスカラ座とのヴェルディのオペラ、ウィーン・フィル、シカゴ交響楽団とのマーラーの交響曲全集、あるいはルドルフ・ゼルキンとの数々のモーツァルトのピアノ協奏曲といった、古典派・ロマン派の作品の演奏がおなじみだろう。
また、シューベルトの自筆譜によるヨーロッパ室内管弦楽団との交響曲全集が話題になった。
アバドのディスコグラフィをたどってみると、約40人の作曲家の名前が並んでいるが、そのほとんどは18世紀から19世紀に活躍した人たちで、20世紀と言ってもせいぜい、ストラヴィンスキー、ベルク、バルトーク、プロコフィエフといったところ。
こうしたオーソドックスな作品で説得力のある演奏を聴かせることができるところに、アバドの底力があるのは言うまでもない。
ただ、その中で1枚だけ、ノーノの《力と光の波のように》をポリーニ、タスコーヴァ、そしてバイエルン放送交響楽団と録音しているのが目をひく。
その演奏を聴いてみると、アバドの柔軟な感性が前衛作品の中にもロマンティックなニュアンスを感じ取っているのがわかる。
それにしても本盤のように戦後の前衛作品を集めたディスクは画期的であり、その演奏には「現代音楽」に対する無味乾燥とした音楽をあっさりと払拭してしまう芳醇な響きと情感のうねりがある。
そして選ばれている作品もまた、ウィーンという都市の面影が浮かんでくる、どこかロマンティックで人肌のぬくもりを感じさせる音楽なのである。
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