2015年06月12日
カヤヌスのシベリウス:交響曲第2番、ベルシャザール王の饗宴、カレリア組曲
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本盤には、フィンランドの歴史的な名指揮者ロベルト・カヤヌスのシベリウス録音が収められているが、カヤヌスこそは、シベリウス作品を全世界に広めたパイオニア的存在である。
いま改めて聴いてみると、いまさらのようにカヤヌスの偉大な芸術に感嘆させられてしまう。
カヤヌスはシベリウスより9歳年長であったが、シベリウスの親友であり、生涯を通じてシベリウスの作品の紹介につとめ、作曲もよくし、シベリウスがもっとも信頼する指揮者として活躍した。
しかもカヤヌスは、室内楽への創作に勤しむ若きシベリウスに管弦楽曲への作曲を奨励した人物でもある。
当時はヨーロッパの片田舎であったフィンランドから、シベリウスの作品が発信され、やがて国際的に知られることになったのは、ひとえにカヤヌスの功績である。
シベリウスは、1930年代、「誰を指揮者に推薦するか」という英コロムビアからの問い合わせに、即座に「カヤヌスを」と推薦している。
コロムビア社に異存のあるわけもなく、カヤヌスはシベリウスの7つある交響曲のうちの「第1」「第2」「第3」「第5」の4作品を、ロンドン交響楽団とともに録音している。
「第3」「第5」を録音した翌年の1933年にカヤヌスは亡くなっているので、もう少し長生きしていれば、ほかの曲も入れてくれていただろう、と思うと残念だ。
ここに集められた録音は、作曲者直伝とも考えられる、もっとも正統的な解釈の演奏であり、骨の太い演奏で、ただの歴史的な記録に終わらない、本物の演奏芸術である。
シベリウス在世中の空気を生々しく肌で感じた音楽であるとともに、同時代の精神を映した鏡である。
カヤヌスは、シベリウスの書いた何気ないフレーズや複層的な和音の積み重ねに命を吹き込む特別の才能を持っていたのだ。
現在のシベリウスの演奏は、すべてがカヤヌスの芸術の後裔といってよく、改めてシベリウスの音楽から多くを発見することになろう。
これらの演奏は、いずれも凄いほどの意欲と共感に貫かれている。
交響曲第2番は端的で素直な表情とラプソディックな趣を巧みに交錯させており、音楽が軽やかな運動性にみたされているが、その底流には非常な緊張があり、第3楽章など各部に渾身の力が投入され、終楽章も気宇の大きいロマン的な表現で妥当な解釈といえる。
カヤヌスの「第2」については、SP時代に夢中になったという柴田南雄氏が『名演奏のディスコロジー』(音楽之友社、1978年)で絶賛しているので、ここに紹介しておく。
「出だしの、アタマが休みの弦のリズムのクレッシェンドを木管が受け止める呼吸の絶妙さとか、スケルツォのトリオの変ト長調のオーボエの粘り方とか、フィナーレへの移行部の、耐えに耐えた力がついに解き放たれておもむろに巨人が歩きはじめる、といった様相など、カヤヌスほど確信に迫り、本質を衝いた表現に再び出会ったことがない」
併録の管弦楽曲も名演で、《ベルシャザール王の饗宴》の各曲でのコンセプトの明快さと鮮やかさも素晴らしいの一語に尽きる。
《カレリア組曲》では「バラード」が録音されなかったのは残念だが、「間奏曲」と「行進曲風に」は、いまもこれを凌ぐ演奏はない。
これらの演奏を聴くと、シベリウスは何と理想的な指揮者を得たのだろうか、と思う。
いや、それよりも驚嘆するのは、カヤヌスという巨大な存在が、1930年代に、いま聴いても新鮮な音楽をつくっていたという、それこそ驚くべき事実である。
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