2015年07月11日
リヒテル/カーネギー・ホール・リサイタル 1960
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リヒテルが45歳でアメリカ・デビューを飾った1960年のニューヨーク・カーネギー・ホールでのリサイタルで、会場に集まった聴衆の熱気が曲を追うごとに次第に高まってくる生々しいライヴだ。
特にプロコフィエフのソナタ以降アンコールにかけては、リヒテルのピアニズムが完全に聴衆の心を捉えて離さない状況をまのあたりに伝えている。
当時のアメリカではまだ伝説的にしか伝えられていなかったリヒテルの演奏に対する期待がいやがうえにも高まっていたことは想像に難くない。
その期待に応えるかのように同年10月から始まった演奏旅行でリヒテルはたちまち大陸を席巻し、堂々たる凱旋を飾っている。
カーネギー・ホールでは10月と12月に都合7晩のコンサートを開いていて、そのうち最初の5日間の全容を収めた6枚のCDセットがドレミ・レーベルからリリースされているが、音質がいまひとつのモノラル録音であるのに対して、このRCAの2枚組は12月26日の全プログラムと2日後のニュー・ジャージー州、ニュー・アークのモスク・シアターでのアンコールの数曲を加えたもので、想像以上に音が良く、しかもれっきとしたステレオ録音で臨場感にも不足していない。
欲を言えば、かなり至近距離から採音したためかピアノの響きがデッドでホールの残響が殆んど感じられないことと、高音のフォルテが再生しきれない弱点がなきにしもあらずだ。
例えばラフマニノフやラヴェルにはもう少し瑞々しい余韻があれば理想的なのだが、音質自体は俄然鮮明でこの時代のライヴ物としては優秀なサンプルのひとつだろう。
当日のプログラムはハイドンのソナタから始まるが、半分は現代ロシアのピアノ曲で組んでいるところが特徴的だ。
それはリヒテルにとって自国の作曲家の作品に対する自負でもあった筈だ。
プロコフィエフとも個人的に親交を持っていた彼は、ピアノ・ソナタ第7番を初演しているが、この日に演奏された第6番の鉄杭を大地に打ち込むような強靭な打鍵に貫かれた第1楽章冒頭のテーマがこの曲に強烈なイメージを与えている。
尚トラック16からはモスク・シアターでのアンコール集で、ここでもプロコフィエフの『束の間の幻影』からの抜粋を中心にコンサートを締めくくっている。
リヒテルは5年後の1965年に再びカーネギー・ホールに戻っているが、こちらもドレミ・レーベルから2枚組でS.RICHTER Archives no.15として市販されている。
ドイツ人だった父親がソヴィエト当局に対する命令不服従の罪で銃殺されてから、母親がドイツに去っていたために、リヒテルの亡命を危惧した当局によって彼の西側への渡航が妨げられていた。
戦後、特にアメリカの興行主からの強い招聘があったにも拘らず、病気を理由に彼の渡米は1960年まで実現しなかった。
しかしリヒテル自身の証言によれば、彼はアメリカ行きには消極的で、決して満を持した公演ではなかったようだ。
また当地では常に当局の諜報員に尾行されていたという。
しかしこの2ヵ月の大陸横断旅行が大成功に終わり、翌年からはロンドンやパリでのコンサート活動が始まって、それまで西側諸国では幻のピアニストだったリヒテルへの評価が絶対的なものになったのも事実だ。
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