2015年07月17日
マーラーと世紀末ウィーン 渡辺 裕著
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マーラーの音楽は少年時代から好きだったが、これまで彼とその時代の芸術観についてそれほど深く知ることもなく聴いてきた。
しかしこの著書を読み進めていくと、マーラーという天才作曲家が育つべき下地が世紀末のウィーンを中心にすっかり準備されていたという印象を持つ。
言い換えれば、マーラーはこの時代に出るべくして出てきた時代の申し子なのだろう。
マーラーの人となりや作品がニーチェやワーグナーの哲学、フロイトの精神分析、そしてクリムトの芸術やオットー・ワーグナーの都市計画などと如何に密接に関わっていたか、また如何に彼がその時代の空気を敏感に反映させた音楽を創造していたかが理解できる。
勿論そうした作品が当時の人々から諸手を挙げて受け入れられたかといえば、必ずしもそうではなかった。
マーラーはウィーンを代表する優秀な指揮者として君臨していたが、本人の意志とは裏腹に作曲家としては名を成していなかった。
こうした事情を知ることによってマーラーの鑑賞が一層興味深いものになる筈で、またその作品の必然性を暗示する著者の構想は成功している。
一方でマーラーの虚像はルキーノ・ヴィスコンティの映画『ヴェニスの死』に負うところが大きいと著者は指摘する。
この作品はトーマス・マンの同名の小説からの映画化だが、マンが主人公である小説家アッシェンバッハにマーラーの姿を匂わせたのに対してヴィスコンティは彼を完全に作曲家マーラーに限定した。
そして「滅びの中で美しきものの幻影を執拗に追い求めながら自ら滅びていった」音楽家のイメージを創造する。
マーラーの音楽にはそうした芸術至上主義的で、かつ世紀末特有の退廃的な雰囲気が感じられるのは確かだろう。
しかし事実は小説よりも奇なりの例えに相応しく、実際の彼自身は抜け目のない実利的な合理主義者だったようだ。
だがその間の葛藤が音楽にも映し出されていることは真実であるに違いない。
この時代は来るべき時代の新しい潮流とロマン派の名残を残した潮流とが渦巻いていた。
そうした中でマーラーも生きていたし、作品には双方の影響が表れている。
面白い逸話としては、マーラーが自分の演奏する曲のオーケストレーションを、それがどれほど偉大な作曲家のものであろうと敢然と改竄したことが挙げられる。
当人は作曲家のイメージした音響の再現という大義名分を掲げてその行為を正当化していたようだが、これはマーラーよりも少し前の時代の音楽観のあり方だ。
ヴァイオリニストのヨアヒムがメンデルスゾーンのピアノ伴奏で演奏したバッハの無伴奏をシューマンが賞賛していることからも理解できるように、ロマン派の時代は現代よりも音楽が主観的であり、その普遍性はそれほど顧みられなかったのかも知れない。
それは決して作曲家への冒涜には繋がらなかった。
マーラーがモーツァルトやベートーヴェンのスコアに熱心に書き足した音符や曲想記号はひとつの時代の終わりを告げる証しでもあるだろう。
それはまた最終章「ワルター神話を超えて」に詳しく分析されてマーラーの後の時代の指揮者の解釈について突っ込んだ研究結果が述べられている。
マーラーの直弟子であり、師匠の作品の正当な再現者と思われているブルーノ・ワルターが、実は作曲者のイメージとはかなり異なった解釈による演奏をしていたというのは、あながち根拠のないこととは言えない。
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