2015年08月05日
シェリング・ライヴ in 東京 '76 [SACDシングルレイヤー]
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当時のFM東京の音源は2002年に初出の際、レギュラー・フォーマットのCD2枚組でリリースされた。
これは本当に凄いバッハで、初めて聴いた時、筆者はシェリングの傑出した表現力とそれを支える万全なテクニック、そしてその鮮烈な音質に驚いたものだが、その後リイシュー盤を出しながらもこれらのCDは既に廃盤の憂き目に遭っている。
今回のSACD化では音場の広がりとそこから醸し出される空気感がより立体的な音像を提供しているのが特徴と言えるだろう。
尚前回余白に収められていたシェリング自身の語りによるバッハ演奏のためのヴァイオリン奏法や解釈についてのコメントは省略されている。
本番に強かったシェリングはスタジオ録音の他にも多くのライヴで名演を残しているが、中でも最も音質に恵まれているのは間違いなくこのSACDだろう。
当日のプログラムは彼の生涯の課題とも言うべきバッハの作品のみを取り上げた興味深いもので、完璧主義者のシェリングらしく演奏は精緻でバッハの音楽構成と様式感を明瞭に再現しながらも、ライヴ特有の高揚感と熱気が間近に感じられる。
実演に接した人の話のよると、シェリングのヴァイオリンの美音が冴え、バッハにしては甘美すぎるのではないかという印象があったらしいが、この録音ではそういう感じはまったくなく、しなやかで明るく、洗練された雰囲気を漂わせた親しみやすいバッハになっている。
スケールも一段と大きく、シェリング得意の美音で、実に厳しく清澄で、豊麗、流麗なバッハを聴かせてくれる。
厳格一点ばりのバッハではなく、厳格さのなかにヒューマンな感情があり、そこが人々が支持するゆえんであろう。
シェリング気迫と円熟の至芸であり、その一点一画もゆるがせにしない音楽の作り方は、一貫した力に満ちた真に辛口の音楽とでも言えるところであり、レコード並みの完璧さでありながらライヴならではの感興の盛り上がりに聴き手は息もつくことができない。
無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番も冒頭から終曲まで異常な求心力で演奏される。
中でも終曲シャコンヌは、音楽的に全く隙のない構成力とそれを余すところなく聴かせる表現の巧みさ、そして緊張感の持続が最後の一音まで貫かれていて、最後の一音が消えると、この世ならざる感動に満たされ、演奏が終わった時に聴衆が息を呑む一瞬が印象的だ。
このシャコンヌを聴くと、シェリングが作品のひとつひとつの音のもつ意味というものを、いかに考えているかがよくわかる。
2曲のソナタのピアノ・パートは彼としばしば共演したマイケル・イサドーアで、控えめながら端正で確実な演奏が好ましい。
このようなライヴが、かつて日本で存在したことにも感謝したい。
また、シングルレイヤーによるSACD化により音質も大変良くなり、従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。
シェリングのヴァイオリンの弓使いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、まるでシェリングが顔前にいるかのようなリアリティさえ感じられ、あらためてSACDの潜在能力を思い知った次第だ。
いずれにしても、1976年の日本での偉大なコンサートがこのような最上の音質で聴けることを大いに喜びたい。
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