2015年08月09日
スターン&バーンスタインのベルク:ヴァイオリン協奏曲、バルトーク:ラプソディー第2番/ヴァイオリン協奏曲第2番[SACD]
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アイザック・スターンをソロ・ヴァイオリンに迎えた20世紀の作曲家の作品3曲を収めたSACDで、総てバーンスタイン指揮、ニューヨーク・フィルハーモニックとの協演になる。
ベルクの『ヴァイオリン協奏曲』が1959年、バルトークの2曲、『ラプソディー第2番』が1962年、『ヴァイオリン協奏曲第2番』が1958年のそれぞれがセッション録音だ。
プラガは版権の切れた古い音源を続々とSACD化しているが、演奏の質はともかくとして音源自体が劣化している場合もあるので、その出来栄えとなると玉石混交だが、この3曲に関しては初期ステレオ録音であるにも拘らず、DSDリマスタリングの効果が発揮され、音場の広がりや高音の鮮明さも時代を超越した生々しい音響が再現された成功例と言えるだろう。
スターン、バーンスタインの両者も30代後半から40代前半の若々しい覇気に満ちた演奏が何よりも魅力で、彼らの新時代のクラシック音楽に賭けた情熱と意気込みが伝わってくる。
ベルクの『ヴァイオリン協奏曲』では、その精緻な作曲技法の理論は別にしても曲中に仄かな官能性が潜んでいる。
バーンスタインはそうした隠された官能美を意識的に引き出しているように思える。
第1楽章ではウィンナ・ワルツの断片さえ聞こえてくるが、それが如何にもバーンスタインらしく妖艶に響いてくるし、第2楽章のコラールも彼のフィルターを通すと全く斬新なエレメントとなって浮かび上がってくる。
そこにはバーンスタインの作曲家としてのベルクへの強い共感があるに違いない。
また張り詰めた緊張感の中で、あたかも走馬燈のように揺れ動くスターンのソロは、ベルクの鮮烈な回想を見事に音像化している。
この作品はアルマ・マーラーの娘マノンの夭折を追悼するために作曲されたが、奇しくもベルク自身の白鳥の歌になってしまったようだ。
バルトークの『ラプソディー第2番』ではスターンの大地から湧き上がるようなヴァイタリティーに漲るソロが、この曲のエスニカルなイメージを決定的にしているが、『ヴァイオリン協奏曲第2番』では、作曲家によってそうした原初的なパワーがより普遍化され、いわゆる民族主義から昇華された洗練の域に踏み込んでいる。
スターン自身もまた20世紀の作品を多く初演しているだけあって、時代の動向に敏感に反応しながらも独自の新しい演奏スタイルを追求していたことが理解できる。
最後にニューヨーク・フィルのアンサンブルの正確さとパワフルで完全燃焼しているサポートにも注目したい。
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