2015年12月08日
ヴァルヒャのバッハ:パルティータ(全6曲)、フランス風序曲、イタリア協奏曲、半音階的幻想曲とフーガ
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ヘルムート・ヴァルヒャが1957年にEMIに録音したJ.S.バッハの『パルティータ』BWV825-830全曲が、過去のライヴやセッションの名演を掘り出してCD化しているカナダのドレミ・レーベルからレジェンダリー・トレジャース・シリーズとして復活した。
ヴァルヒャが遺した総てのオルガン用の作品は既にリイシューされているし、またチェンバロ曲集はこの6曲のパルティータを除いては比較的手に入れることが容易だが、この音源に関しては何故か再発されていなかった。
おそらく録音状態の劣悪さが原因かも知れないが、この2枚組セットにはDLC24-bitリストレーションの表示があり、雑味のとれたかなり鮮明な音質が得られている。
曲目は他に1960年の録音になる『フランス風序曲ロ短調』BWV831、『イタリア協奏曲ヘ長調』BWV971及び『半音階的幻想曲とフーガニ長調』BWV903で、この3曲に関しては製造中止になっているとは言え、ARTリマスターのEMI盤がかろうじて入手できる。
見開き1枚の曲目紹介とオリジナルLPの写真のみでライナー・ノーツは付いていない。
ヴァルヒャがJ.S.バッハの鍵盤楽器用の総ての楽曲の暗譜を決意したのは彼が完全に失明した後、19歳の時だったと言われる。
そして40歳の誕生日にはその課題を達成していた。
点字楽譜もまだ存在しなかった時代に、母や夫人の弾く一声部一声部を暗譜して、頭の中で音楽全体を再構成するという驚異的な方法で身につけた曲は、どれを聴いても整然として明確な秩序を保っているだけでなく、彼特有の覇気に貫かれている。
ヴァルヒャが日頃使用していた楽器はユルゲン・アンマー社のモダン・チェンバロで、それには止むを得ない事情があったと考えられる。
戦後から1960年代にかけてオリジナル・チェンバロは博物館を飾る調度品に成り下がっていた。
それは教会の中で厳然とその生命を保っていたオルガンに比べると、時代に取り残された楽器としかみられていなかったのが実情だ。
それが演奏可能なまでに修復され始めるのはいくらか後の時代であり、ヴァルヒャはようやっとその晩年に古楽復興の黎明期に巡り会えた演奏家である。
この楽器の音色が見直されるようになってから、当世流の便宜的改造が加えられたのがノイペルトやアンマーのモダン・チェンバロである。
当時内部のフレームは金属製でa'=440の現代ピッチに調律されていた。
ピリオド楽器に比べるとさすがにどこか人工的な響きだが、それでもアンマーの音は潤沢で幅広い表現力を持っていることからヴァルヒャは多くの録音にこの楽器を用いた。
しかしヴァルヒャも晩年修復されたオリジナル楽器を使って『平均律』を録音しなおしたし、シェリングと協演したバッハの『ヴァイオリン・ソナタ』全曲のセッションでもオリジナルを演奏している。
J.S.バッハの数多い組曲の中でも『パルティータ』にはそれまでの舞曲の組み合わせという様式に囚われないシンフォニア、ファンタジア、カプリッチョあるいはブルレスカ、スケルツォなどの新しいエレメントが入り込んでいて、それだけにバッハの自由闊達で手馴れた作曲技法が駆使されている。
ヴァルヒャの演奏は一見淡々としているようで、突き進むような情熱が隠されている。
それは彼の哲学でもある、バッハが書き記した音符をくまなく明瞭に伝えるという使命感に支配されているからで、書法を曖昧にするような表現、例えばテンポ・ルバートや過度な装飾は一切避けている。
こうした妥協を許さない理路整然とした演奏を聴いていると、あたかもバッハの手稿譜が目の前に現れるような感覚に襲われる。
ヴァルヒャの奏法はオルガンを弾く時と基本的に同様で、楽器の特徴を聴かせるというよりは、むしろバッハの音楽の再現に自己と楽器を奉仕させるということが大前提になっているような気がする。
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