2016年02月07日
フルトヴェングラー&ウィーン・フィルのブルックナー:交響曲第8番(1944年ライヴ)
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1944年10月17日、ウィーン、ムジークフェライン・ザールでのライヴ録音。
旧DDR放送局のテープから復刻されたもので、ハース版に基づいた演奏だが、フルトヴェングラーが若々しい気迫に満ちた音楽を聴かせ、アゴーギクとデュナーミクを巧みに融合させた効果は、まさに名人芸と言わねばなるまい。
ブルックナーの交響曲第8番は、ブルックナー自身が、「私の書いた曲の中で最も美しい音楽」と言って自信をもっていたという。
そうしたこの第8番を、フルトヴェングラーは、内面的な燃焼度の高い、雄渾な演奏で聴かせ、その強烈な個性には圧倒されてしまう。
作品と指揮者が運命の糸で結ばれている、そんな磁力にも似た求心力を背景にうねるような起伏をもって再現された名演、熱演。
個性的でスケールの大きい表現だが、あまりにロマン的で、ブルックナーの素朴さよりもフルトヴェングラーの音楽を聴く感が強い。
それでもこの指揮者の芸術的ルーツが、ブルックナーと同じところにあることを理解できる自然体の表現であり、そこに演奏の魅力もあるのである。
フルトヴェングラーの解釈は作品との強い一体感をベースとしたもので、それはバーンスタインがマーラー演奏に見せた陶酔感すら覚えさせるものがあるが、大戦中に演奏されたフルトヴェングラーのブルックナーには例えようもない気品と影の暗さがあり、それが感動のテンションをさらに高める。
そうした美質を引っさげてフルトヴェングラーはブルックナーの核心部分へと果敢かつ勇猛に足を踏み入れていきながら、聴き手を抗し難い興奮へと巻き込み、陶酔的感動に浸らせてしまう。
精神的な高さと深さで、これを凌駕するような演奏は他にないと言えるところであり、聴いたあとに深い感動の残る秀演である。
とりわけ、第3楽章アダージョは比類のない美しさで、晩年のブルックナーが到達した深い精神性が見事にあらわれている。
この第3楽章アダージョの部分を聴くと、ブルックナーの音楽の雄大さ、フルトヴェングラーの表現力の息の長さ(ウィーン・フィルの器の大きさも加えるべきなのかもしれない)に、誰もが圧倒されてしまうことであろう。
われわれの日常生活で用いられている単位では、とても手に負えないような雄大さであり、息の長さである。
こうした芸術活動だけに許されるような次元に接する機会が、最近はとみに少なくなってしまった。
また、フルトヴェングラーは、なにを指揮しても決して急ぎすぎることがなかった。
悠揚迫らぬそのテンポは、まずは聴き手を落ち着かせるのに力を発揮したばかりでなく、さらに進んで揺るぎない信頼を勝ちとった、と言って良いだろう。
これぞフルトヴェングラー人気の根源のひとつ、という気がする。
この第8番では、そうした独特のグランド・デザインによりながらも、ブルックナーの楽想を生かし、音楽を生かすため、フルトヴェングラーはテンポを細かく動かし、表情に変化を与え、クレッシェンドを活用して強い緊張感を生み出している。
そして表出されたブルックナーの深奥から湧き起こる音楽的情熱と、深々とした祈り、見事だ。
フルトヴェングラーの凄さに圧倒されてしまう巨人の足音である。
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