2016年02月12日
フルトヴェングラー&ベルリン・フィルのブルックナー:交響曲第7番(1951年カイロ・ライヴ)
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フルトヴェングラーは同曲をスタジオ録音をしておらず、当録音を含め3種のライヴ盤が出ていたが、このDG盤はEMI盤と並んで、名盤として有名なもので、カイロ放送局のテープによる復刻。
LP発売時にはハース版に準拠とされていたが、今回はシャルク改訂版に準拠と認められている。
しかし、いわゆる改訂版のイメージとは異なり、晴朗な抒情感と堅固な構築力をもった演奏である。
この演奏におけるフルトヴェングラーのドラマティックな音楽の盛り上げ方は、ブルックナー・ファンの間で意見の分かれるところだが、フルトヴェングラーならではの至高の世界を作り上げている。
決して音の状態は良いとは言えないが、生前、ブルックナー協会の会長をつとめていたフルトヴェングラーの、ブルックナーの音楽に対する傾倒の深さを物語るかのような、雄渾な演奏で、その彫りの深い、雄大な表現には圧倒されてしまう。
フルトヴェングラーの視点から再構成されたブルックナーという印象もあるが、その音楽の壮大さは比類がない。
旋律的な魅力によって曲の壮大な美しさを肌で感じることのできる演奏で、フルトヴェングラーは淡々と、しかもよく歌い切っていて、弦の美しい第2楽章ひとつとってもツボをしっかりつかんでいることがよくわかり、さすがに息長く歌わせて、連綿と続く歌の美しさにも特筆すべきものがある。
とはいえ、フルトヴェングラーとしては淡泊な表現で、彼一流の劇性は希薄となっており、抑制のきいた表現とも言えるが、それでもアダージョ楽章は非常に音楽的だ。
作品にふさわしい抑制もきかせているが、クライマックスの構築の仕方はあくまでフルトヴェングラー流。
一貫してメロディ・ラインを重視し、作品の無限旋律の美しさを見事に歌い出すが、第1・第2楽章の無時間的な広大さなど、ほとんど魔力的な世界であり、その中でもとくに第2楽章、クライマックスへの織りなしは圧倒的な効果を放っている。
また、第1楽章と終楽章におけるテンポの大きな動きを伴うロマン的な語り口はこの指揮者ならでは。
この作品の情緒を深くつかんでいればこそとれた手段で、フルトヴェングラーの芸術に直に触れる思いがする。
フルトヴェングラーの手にかかるとブルックナー作品はにわかに神秘的気配を強め、神々しくなる。
素朴な味わいや木訥な語り口に思えていた特質がその性格を一変させ、深層心理に肉薄するメスとなって機能しはじめ、聴き手に迫るのである。
フルトヴェングラーの巨大な個性によって大きく包み込まれたブルックナーのスケールとロマン、そして全容から立ちのぼってくる言い尽くせぬ香気には何者にも抗えないようなところがある。
この指揮者の深遠でしっとりとしたロマンティシズムが打ち出された演奏であり、官能的かつ叙情的な誘導が最大の魅力になっている。
美しさを超えた第2楽章を感動の核としながらも、この交響曲全体像が怒涛となって聴き手に襲う演奏は他に例がなく、怖くなるようなフルトヴェングラーの指揮芸術の奥義を堪能させる。
ベルリン・フィルの楽員たちは全身全霊を傾けて表現している。
今日のブルックナー解釈とは異なる世界に位置する歴史的名盤であり、かつてこの演奏によってブルックナーの洗礼を受けた諸氏も少なくあるまい。
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