2016年05月07日
クリュイタンス&パリ音楽院管のドビュッシー:管弦楽のための映像、遊戯[SACD]
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アンドレ・クリュイタンスのフランス物の中では圧倒的に評価が高く、また曲数の上でも他を凌駕するラヴェルの演奏集は、概ね国内でSACD化されているが、ドビュッシーの作品となるとその演奏水準の高さにも拘らず録音自体僅かしか遺されていない。
クリュイタンスが全盛期に亡くなったことも関係しているかも知れないが、ここに収録された2曲の他には2種類の『ペレアスとメリザンド』ライヴ録音と『神聖な舞曲と世俗的な舞曲』があるのみだ。
とりわけ、『映像』は絶品で、クリュイタンスは、音楽を自然に流しながら、陰影にとんだドビュッシーの世界を、実に精緻に表出している。
「イベリア」での比類のないみずみずしさとしなやかさ、「夜のかおり」の官能的な響き、「春の踊り」もデリカシーがあって感覚の整然としたまとまりの中から、なごやかな詩がほのぼのとわきあがってくる。
『遊戯』も、まことに折り目正しい演奏で、フランス風のエレガントなセンスと、表情づけの細やかさという点で傑出した演奏である。
この2曲は幸いステレオ・セッション録音で、音源の状態も良好なのでSACD化の価値は高いと言えるところであり、レギュラー盤に比較してオーケストラに一層艶やかな色合いが醸し出されている。
特に印象派の作品ならではの移り変わる陰翳や光彩の表現に管弦楽をリミックスする絶妙な技を発揮したクリュイタンスだけに、ドビュッシー作品集は欠かせないコレクションになるに違いない。
確かに50分余りの収録時間は1枚のディスクにしては少な過ぎるとは思うのだが。
ところで、ドビュッシーには明らかに現代音楽の先駆の顔がある。
しかも、一筋縄ではいかない狷介さも併せ持っている。
『遊戯』や『映像』という標題性や具体的な楽曲につけられた解説を読んで、イメージをふくらませることはできるが、聴いた後に、それだけでは得心できないものを感じるリスナーも多いであろう。
ドビュッシー音楽のこのような複雑な構造を、クリュイタンスは「あるがまま」に描き出そうとしているようだ。
標題性の強調よりも、斬新なパーカッションの使い方や、弦楽器のデフォルメされたグラマラスな響きなどを実に慎重に扱いながら、魅力的な音楽空間をそこに創り出している。
たとえば、フォーレのレクイエムでみせた「非作為」のスタンスから導かれる自然の美しさの表出をここでも感じる。
クリュイタンスという秀でた指揮者は、どんな音楽でも、彼のもつ抜群の平衡感覚で素材の良さを最大限に引き出せるところにあるのではないか。
クリュイタンスの手によって、ドビュッシー音楽の先駆性を考えさせられた1枚である。
ベルギー生まれの名指揮者であるクリュイタンスは、パリ音楽院管弦楽団の正指揮者を1944年から67年までつとめ、このオーケストラの黄金時代を築き上げた。
当時のパリ音楽院管弦楽団は一癖も二癖もある奏者が揃っていて、団結力では他のオーケストラに譲るが、曲中随所に現れるソロやアンサンブルの部分ではそれぞれの名手がここぞとばかりにスタンド・プレイ的な名人芸を聴かせてくれた。
中でもウィンド、ブラス・セクションにはこの時代の彼らにしか聴けないような官能的な雰囲気を漂わせた音色と奏法が特徴的で、クリュイタンスも彼らに最大限の敬意を払い、それを許容していたと思わせる大らかさが感じられる。
他のレパートリーはいざ知らずフランス物に関しては彼はパリ音楽院には統率ではなく、如何に個性を引き出すかを考えていたのではないだろうか。
そうした面白さを知っているオールド・ファンにとっては解散前の彼らの極めて個性的で貴重なサンプルでもある。
このコンビによる『海』や『夜想曲』などの録音がないのが惜しまれてならない。
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