2016年07月17日
フィッシャー=ディースカウ&ムーアのR.シュトラウス:歌曲集
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R.シュトラウスの歌曲は文学的な技巧を凝らした叙事詩を扱ったものより、甘美な抒情詩をテクストにしたものが圧倒的に多いし、曲想にもまた彼らが生きた世紀末特有のデカダンス的な雰囲気が濃厚に感じられるが、かえってそうした傾向の曲で彼の才能が際立っているように思える。
それは同時代の作曲家、フーゴー・ヴォルフの詩作品への近付き難いほどの心理的な鋭い洞察力と言霊への飽くことのない追究には及ばないだろうが、オペラでの愛のモノローグを髣髴とさせるような大らかでメロディックな旋律、官能的な和声進行や絵画的な情景描写は、ヴォルフの歌曲より気軽に鑑賞できる親しみ易さがある。
ここにはフィッシャー=ディースカウのバリトンとジェラルド・ムーアのピアノによる2回目のセッションからのR.シュトラウスの歌曲集29作品、計134曲が6枚のCDに収められている。
フィッシャー=ディースカウもこの録音が行われた1967年から70年は脂の乗り切った全盛期で、声もテクニックもすこぶる充実しているのが特徴だ。
少なくとも彼の20代の頃の録音では声自体の初々しさで優っているが、こちらでは表現がより自由闊達になり、歌唱法も完成された独自の境地を開いている。
例えばCD5枚目の『小商いの鏡』Op.66から「三つの仮面を天に見た」では最高音がBb(変ロ音)に達しているが、彼は全く力みのない艶やかな発声で歌い切っている。
この曲集は風刺に富んだ内容を持っているだけに、詩の皮肉っぽさが品良く、またさりげなく表出されているのが聴きどころだろう。
ムーアのピアノは決して歌と張り合うような奏法ではなく、歌手の歌心を絶妙にくすぐる巧妙なものだ。
常に相手に寄り添いながら、音形や和声の意味するところを鋭敏に演奏に反映させていく老獪さは、もはや伴奏という範疇を遥かに超越している。
録音状態及び音質はこの時代のものとしては極めて良好で印刷されているデータも正確だが、バジェット価格盤の宿命で残念ながら歌詞対訳は一切省略されている。
11ページほどのライナー・ノーツにはR.シュトラウスと彼の歌曲作品についてのごく簡易な考察が掲載されている。
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