2022年07月13日
シューマン著『音楽と音楽家』(吉田秀和訳)
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シューマンは『春』の交響曲や『子供の情景』などの曲で親しまれるドイツ初期ロマン派の作曲家であるが、またすぐれた音楽評論家でもあった。
本書はその論文の大半を収めたもので、ショパン、ベルリオーズ、シューベルト、ベートーヴェン、ブラームスなど多数の音楽家を論じ、ドイツ音楽の伝統を理解する上に貴重な読み物である。
1942年の初版本からの抜粋版で、吉田秀和氏の訳業としては処女作品に当たるためか、後年の穏やかさとは異なった独特の覇気を持った訳文が特徴的だ。
しかし口語体で書かれた文章は明快そのもので、シューマンの鋭い洞察と先見の明に驚かざるを得ない。
シューマンはバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの信奉者であり、こうした作曲家への音楽的な位置付けは彼らの時代に、まさに彼らによって定着したものなのだろう。
しかしバッハの作品群はまだメンデルスゾーンなどによる復興の時期でもあり、その真価を逸早く世に知らしめた功績は大きいと言える。
一方で彼は同時代の作曲家メンデルスゾーン、ショパン、ベルリオーズ等に文筆活動の面でも惜しみない応援を送っている。
この批評集で彼はフロレスタン、オイゼビウス、そしてラローに託してさまざまな音楽批評を試みているが、それは当時のヨーロッパの楽壇の実情を知り得る貴重な証言でもある。
中でもベルリオーズの『幻想』交響曲についてのアナリーゼは素晴らしく、この曲を広くドイツ国内に紹介し、その真価を賛美したシューマンの面目躍如たるものがある。
そこでは彼が同時代の作曲家の作品に対して実に公正かつ冷静な評価を下していることが理解できるだろう。
一方で伝統的な和声楽や様式に固執し、前衛的な手法を少しも認めようとしなかった当時の批評家達をこき下ろしながら、ベルリオーズの交響曲が実は楽理的にも適った音楽であることを分析し、証明しているところがユニークだ。
これは余談になるが79ページにあるベートーヴェンのロンド『銅貨を失くした憤慨』についてはごく短いながら痛快な批評を寄せている。
筆者はこの曲をCDは兎も角として、ライヴのコンサートではたった1度しか聴いたことがない。
それはダン・タイソンがショパン・コンクールに優勝した翌年に行ったツアーでの2曲の協奏曲の夕べのことだったが、彼はその晩のアンコールにこの曲のみを弾いた。
ショパンの小品ではなく何故このロンドを選んだのかは未だに解らないが、その時の彼の演奏の印象はすこぶる強く記憶に残っている。
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