2016年09月20日
シフのバッハ:鍵盤楽器のための作品全集
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今や押しも押されぬ一級の演奏家の仲間入りをしているシフが1981年から92年にかけてDECCAレーベルに録音したアルバムで、シフの洗練された音楽性と初々しいピアニズムの結晶を聴く名演集。
ピアノによるバッハ演奏の、最も現代人の感覚にぴったりくるのがシフの演奏で、淀みない流れと触発する美しさに溢れたシフの演奏に耳を傾けていると、バッハの鍵盤楽器作品が尽きせぬ心の泉であることが再確認される。
シフが弾くバッハの魅力は現代ピアノがもつ限りない機能性と美的表現力とに全幅の信頼をおき、そこからバッハの鍵盤曲の魅力を縦横無尽に引き出していく点にある。
しかもその背景にはシフならではの知的にコントロールされた音楽の心があり、技巧や感覚美の次元をこえたもうひとつ向こうの世界へと聴き手を誘う吸引力がある。
ロマンティックすぎる解釈かもしれないが、軽やかな弾みと自然な流れが小気味よいうえ、解釈上のツボも押さえられていて、この美しさには抗し難い魅力があり、聴き込むほどに味わいの増す演奏だ。
ここに聴くシフのピアノは、とにかく音色に磨き抜かれたような美しさがあり、1音聴いただけで、その魅力にひきこまれてしまう。
しかもここでのシフは無心かつ無垢であり、バッハの世界で戯れるかのような姿すら見せている。
シフの磨き抜かれたピアノの音色、洗練されたリズムの冴えなどを耳にすれば、ピアノという楽器に興味と関心とをもっているほとんどすべてのひとは、おそらく脱帽状態となってしまうことだろう。
そのうえ、ここにおけるシフは、バッハ演奏における様式観に関しても、ノンシャランにはならず、きちんとした筋をとおしており、説得力が強い。
磨かれ、粒をきれいに揃えた音と、軽やかな運びで、シフはバッハの鍵盤楽器作品を、自然な姿に整える。
リズムの良さにも水際立ったものがあり、テクニックもスムースで、バッハの音楽に対する各種様式観にもバランスのとれた配慮が行き届いており、間然としたところがない。
粒立ちのよい音で、色彩豊かに展開されるバッハは、実に新鮮な感覚に満ち溢れており、今日のバッハ演奏を代表するものの1つと言っても、決して過言ではないだろう。
チェンバロによる、オリジナルを重視する演奏とは実に大きく隔たっているが、それでも、聴いて正しくないなんて言う気には決してならないはず。
もしバッハがピアノとすぐれたピアニストを知っていたら、強くそれを希望したに違いないと思えるくらい、バッハの本質はここにあると感じられる。
20世紀末の人間の感覚とバロックの巨人が求めた技の、重なり合うところに、シフの演奏が成立していて、技術がただひたすらに作品のためにあることを実感させる至芸である。
筆者が、シフを聴いて初めて驚きを覚えたのは、これらの録音以前に、放送を通じてドメニコ・スカルラッティやバッハの作品を聴いたときだが、その切れ味のよいリズム感と、美しいタッチから生み出される透明感に満ちた音色で奏されるバッハやスカルラッティの音楽の、なんと躍動と愉悦に満ちていたことか。
軽やかなタッチが作り出す滑らかな調べはあくまでも磨き抜かれたタッチの美しさを誇るが、いささかも人工的、メカニカルな印象を与えず、音楽そのものに浸らせ、その新鮮な表情は彼らの作品に新しい光を当てるものだった。
粒立ちの良い音の佇まい、演奏に漂う清潔感と凛々しい気品も抜きん出ており、リズム処理のスムースさにも他の演奏家にはない快い切れがある。
このアルバムではそうした彼の美質を十分に保ちつつ、音色にはまろやかさと暖かさが、表現には余裕と落ち着きが増し、音楽全体に懐の深さや味わい深さが加わっている。
バッハの鍵盤楽器作品は今日では、チェンバロによる演奏が広く聴かれるようになっているが、ピアニストにとってバッハの音楽は不可欠のレパートリーである。
演奏会で取り上げることは少ないにせよ、名ピアニストほどバッハ作品を見事に弾いている。
しかし、多くのピアニストが19世紀の解釈でバッハを弾いて疑問を抱かないのに対し、シフのバッハ解釈は意識的にロマン主義的解釈を避けた次元でバッハ音楽の普遍性をピアノという、言わばモダン楽器で見事に彫琢している。
オリジナル楽譜にはあるべくもない強弱記号であるが、シフはこれを19世紀の解釈ではなく、バッハ音楽のテクスチャーから読み取れる自然かつ音楽的な変化として表現している。
それに、実を言えばグールドじゃないところも大きな魅力で、ある意味でもっともシフらしい、飾らないシフと出会えるアルバムと言えるかもしれない。
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