2016年12月05日
シュヴァルツコップ&フルトヴェングラーのヴォルフ・リサイタル(完全全曲ライヴ)
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HQCD化によるフルトヴェングラー・シリーズの1枚で、1953年8月12日のザルツブルク音楽祭における一晩のライヴ録音を、プロデューサーはシュヴァルツコップの夫君ウォルター・レッグが担当している。
モノラル録音で経年によるマスター・テープの劣化は否めないが、リマスタリングの効果でかなり聴きやすくなっていることは確かだ。
ヴォルフ没後50年を追悼する全曲ヴォルフのプログラムで、稀代のヴォルフ歌いシュヴァルツコップの彫りの深い歌唱を巧妙に支え、ある時は積極的に歌を先導するフルトヴェングラーのピアノも聴きどころだ。
もっとも、当時まだ38歳だった彼女が大指揮者からの薫陶を得たというのが事実かも知れない。
ジェラルド・ムーアは一流どころの指揮者やピアニストが歌曲の伴奏をすることを強く推奨していた。
それによって歌と伴奏がどういう関係にあるのか初めて体験し得るし、声楽曲の芸術性をより深く理解できるというのが彼の主張だった。
ちなみにこれに先立つ1949年のエディンバラ音楽祭でブルーノ・ワルターがシューマンの『女の愛と生涯』でキャスリーン・フェリアーの伴奏をした録音が遺されている。
彼らに共通することは、ピアノという楽器を超越したところで伴奏を成り立たせていることで、一見朴訥なようでじっくり鑑賞する人にはオーケストラを髣髴とさせる奥深さを内包しているのが聴き取れるだろう。
女声ではシュヴァルツコップ、男声ではフィッシャー=ディースカウやハンス・ホッターなどの詩に対する感性の鋭さは、ドイツ語のメカニズムや心理描写に至る声の陰翳付けなど、あらゆる発声のテクニックをコントロールして表現するところに表れている。
ドイツ・リートの中でもヴォルフの作品では、文学と音楽とが最高度に洗練された状態で結び付いているために歌手と伴奏者の芸術的レベルとその表現力が拮抗していないと、目まぐるしい転調や神経質とも言える楽想が聴くに堪えないものになってしまう。
その意味で本盤は、若々しく艶のある名花シュヴァルツコップと大指揮者フルトヴェングラーの素晴らしさを満喫できるひとつの理想的なライヴ録音と言える。
尚歌う前と小休憩ごとに拍手が入っているが、客席からの雑音は殆んど聞こえない。
この音源は過去にオルフェオやEMIから出ていたもので、昨年ワーナーからリリースされた『シュヴァルツコップ・ザ・コンプリート・リサイタルス』のCD29にも収録されている。
ヴォルフはテクストとして選択した詩を、恐ろしいほどの洞察力で汲み尽し、その言霊の抑揚ひとつひとつに人間の心理やさがを発見し、嬉々としてそれを楽譜に写し取っていった。
ピアノはもはや伴奏の範疇を抜け出して歌詞と対等な立場で、またある時はそれ以上に語りかけてくる。
その手法は森羅万象を表すだけでなく心理描写にも心血が注がれていて、それは殆んど狂気と紙一重のところで行われた作業であるために、その再現には尋常ならざる機知とアイデア、そしてそれを裏付けるだけの高度な表現力が歌手と伴奏者の双方に要求されることには疑いの余地がない。
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