2017年01月10日
音楽への礼状(小学館文庫) 黒田恭一著
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クラシック音楽ファンにはお馴染みの稀代の音楽評論家、黒田恭一氏がカラヤン、バーンスタイン、カルロス・クライバーからマイルス・デイビス、ピアソラまで、35名のアーティストとひとつのアンサンブルに礼状を書くという想定で綴られたエッセイ集で、それが取りも直さず音楽への礼状としてまとめられている。
同氏の著書の中でも彼の人柄の温かさと、それぞれの人を見極める鋭い洞察がひときわ感じられる作品で、音楽をきくことをこよなく愛し、音楽の輝きをひとりでも多くの人と分かち合うことを切望し続けたひとりの音楽評論家の音楽への深い愛と洞察に満ちた名著である。
ただしこの本の発行が1990年で、著者(1938-2009)も含めてここに登場するアーティストの多くは既に他界している。
黒田氏はフランコ・ボニゾッリをテノール馬鹿の典型としながら、イタリア・オペラの醍醐味はまさにそこにあると断言している。
それは決して蔑視ではなく、自分の声の温存を顧みないサービス精神を潔しとし、聴衆を満足させる術を讃えているのだ。
またカルロス・クライバーには、彼の天才的資質を充分に認めながらも、一方では彼の欠点をも見事に見抜いている。
彼に欠けているのは父のE・クライバーにはあった傷つく勇気だと指摘していて、それは音楽上の欠点ではないにしろ、その視点は非常に興味深い。
マリア・カラスの項では、インタビューを断ってきた彼女の寂しげな一瞬の表情から著者は総てを悟っている。
カルロ=マリア・ジュリーニは、彼の野暮と紙一重の誠実さを褒め、自分の大切な万年筆をお釈迦にされ(筆圧のせい?)ても、その万年筆を宝物として大事にしまっておくという興味深いエピソードがある。
ヘルベルト・フォン・カラヤンについては、全盛期の颯爽とした姿を知っているだけに、晩年の介添人に付き添われ登場した時のカラヤンに対する感情、マイルスに対して、バック・ミラーを捨てて走り続け、寂しくありませんかと問うその感情・・・など挙げていけばきりがないが、総て文字通り黒田氏の温厚な性格が良く出ている。
そこにはもちろんそれぞれのアーティストに対する鋭い観察に裏打ちされている事は言うまでもない。
黒田氏は「きく」という行為の本質をわきまえていた数少ない評論家のひとりだったし、彼にとってそこにはジャンルも境界も存在しなかった。
そしてその喜びをひとりでも多くの人と分かち合うことを心から願っていたし、自分がその仕事に携わっていることへの感謝の気持ちを忘れなかった。
本文中でも「どのような音楽に対しても、感謝の気持ちを胸にたたんできいていきたい、と思う。感謝の気持ちを忘れてきかれた音楽は、いかなる音楽も、ききてにほほえみかけない」とし、クラシック、ジャズ、ポピュラー、中南米音楽……と、ジャンルを問わず、絶えずみずみずしい感性で音楽と向き合い続けたことが理解できる。
文章について言えば、彼は思いついたことをそのまま書き下ろすことはしなかったように思う。
解りにくい言い回しや、むやみな漢字の使用は故意に避けている推敲が窺えるからだ。
また本書を読めば一部の人が黒田氏の批評は生ぬるいと言うのが全く表面的な見解であることも理解できるだろう。
思えば黒田氏は筆者の恩師であり、授業以外の面でも学生達に協力を惜しまない優しい方だった。
東中野のお宅に初めて伺い、地下のオーディオ・ルームに案内された時の驚きを今でも忘れることができない。
部屋の側面には無数のLPが几帳面に整理されて収納してあり、呆気にとられて溜息をついている筆者に、「欲しいのがあったら、ダビングしてやるよ」と気さくに仰ってくれたことも記憶に新しい。
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