2017年04月13日
『ピアノ伴奏者の王』/ジェラルド・ムーア
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『ピアノ伴奏者の王』と題された10枚組のセットは、1人の伴奏者の記録としては余りにも稀な企画であり、それはそのままムーアの辿った奇跡的なキャリアを示している言葉だ。
むしろここに収められた曲目はそのごく一部で、彼は膨大な量の歌曲伴奏の他にも器楽とあわせたセッションも少なからず残している。
しかもどのソリストもその時代を代表する演奏家だったことを考えると、彼が如何に共演者として信頼された存在だったか理解できる。
このアンソロジーは歌曲に限られているが、それぞれが独、仏、英、西、伊語の歌詞を持ったもので、それらの歌の意味するところを的確に捉えて歌手の長所を引き出す術は並大抵の努力では得られない筈だ。
これは彼が自著『伴奏者の発言』及び『歌手と伴奏者』でも述べていることだが、相手の声質によって伴奏は変えなければならない。
ソプラノとバスを同じようには伴奏できないし、同じ曲でも移調すれば曲自体のイメージが変化するだけでなく、当然指使いも全く異なったものになる。
だから一度弾いたからレパートリーになるというものではなく、伴奏者である限り、こうした課題は果てしなく続く。
そのあたりの極意を極めたのがムーアだったのではないだろうか。
ムーアの演奏に強烈な自己主張はない。
それはあくまでも相方を活かし、寄り添って音楽を作り上げようという哲学に貫かれているからで、なおかつ彼が伴奏というカテゴリーを芸術の域に高めることができたのは、自らの役割を明確に認識し、その手法を洗練しつくしたからだと思う。
しかしムーア自身、一流のピアニストや指揮者達が伴奏側に回ること、つまり伴奏経験をすることを強く勧めている。
何故ならそれを体験することによって彼らの音楽観が飛躍的に広がり、ソロを弾く時やオーケストラの扱いに応用できるからだ。
あるいはむしろそのための時間の捻出を嫌う彼らへの警告なのかもしれない。
前置きが長くなったが、ボックスの裏のデータを見てから1枚目のCDを聴いて面食らった。
表記ではCD1−3の歌手はアクセル・シェッツとなっているが、実際にこのデンマークのテノールが歌っているのは2枚目の『美しき水車小屋の娘』で、『冬の旅』はフィッシャー=ディースカウ、『白鳥の歌』はハンス・ホッターの演奏だったからだ。
録音は現在比較的手に入りにくい1940年から1958年にかけてのもので、音質は時代相応の響きだ。
個人的には彼が器楽を伴奏したものをまとめて聴いてみたい。
それによって更にムーアの実力が明らかになる筈だ。
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