2017年06月26日
ヴァント&ミュンヘン・フィルのライヴ録音集成
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このセットでギュンター・ヴァントがミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団に客演した最初のライヴ録音は1993年のシューベルトの『ザ・グレイト』で、この時期は奇しくも彼と同年齢のチェリビダッケが同オーケストラの首席指揮者として彼の最晩年を迎えていた。
ヴァントは北ドイツ放送交響楽団を離れた後、フリーの客演指揮者として遅ればせながらインターナショナルな活躍を始めるのだが、大器晩成というにはあまりにも彼への評価が遅過ぎた感がある。
チェリビダッケが得意としたブルックナーをミュンヘン・フィルの持ち味を活かしながらも、全く異なったアプローチで纏め上げる手腕はヴァント円熟期の至芸という他はない。
リズムを音楽の生命と考えていたヴァントは、リズムの進行を妨げるような音楽の抑揚を避け、更に弦楽とブラス・セクションのバランスが崩れないように絶妙な采配をしている。
それゆえ金管楽器の咆哮によってもたらされる一種のカタルシスこそ望めないが、殆んど究極的な調和に根ざした堅牢な交響曲の再現が聴きどころだろう。
ヴァントは晩年に自身のレパートリーをかなり絞り込んでいる。
この8枚に収録された全曲目がゲルマン系であることも象徴的だが、これらの作品は最近リイシューされたRCAからのライヴ音源33枚でも共通していて、彼の生涯を賭けた課題であったことが理解できる。
勿論ブルックナーだけでなくベートーヴェンやシューベルトを聴いていると、その晴朗さとリズム感を一瞬たりとも失うことのない快活なイン・テンポで貫く解釈の基本が示されていて、その巧妙さに彼の鍛え抜かれたテクニックが冴え渡っている。
ヴァントはマーラーを前述の作曲家達とは同列に扱わなかった。
マーラーの音楽はヴァント自身が言う、自己の世界を超越したところで成り立つ普遍的な音楽とは異なった卑近なもの、あるいは極めて私的な性格が強いものとして捉えていたからだろう。
つまりヴァントのアプローチでは扱い難い代物としてレパートリーから淘汰されていったことが考えられる。
総てがミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団とのライヴ音源で、演奏終了後に客席からの拍手喝采が入っているが、音質は極めて良好で演奏中の聴衆の雑音は混入していない。
クラムシェル・ボックスに収納されたそれぞれのジャケットは洒落っ気のない無地の紙封筒状で、1枚1枚開封する必要がある。
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