2017年08月03日
ギーゼキングのバッハ、放送用音源集大成の7枚
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ギーゼキングの演奏の価値はバッハの鍵盤楽器用作品をピアノで演奏するための普遍的な奏法を開拓していることである。
当時のピアニストがバッハのチェンバロ曲を体系的にレパートリーにすることは少なく、コンサートやレコーディングでも積極的にバッハを採り上げることが一般的でなかった時代に、彼がこれだけの充実した演奏集を遺してくれたことは驚異的でさえある。
ちなみに彼と同時代にはエトヴィン・フィッシャー、バックハウス、ケンプ、アラウ、ホロヴィッツやルービンシュタイン等が活躍していた。
しかしながらフィッシャー以外はごく単発的にバッハを演奏するか、あるいは全く無視するという程度で、バッハの作品に造詣が深く、またコラールの編曲でも知られたケンプでさえ、それらはあくまで演奏会のアンコール用に用意されたものでプログラムのメインになることはなかった。
バッハの音楽はあらゆるタイプのアレンジが可能だが、ライナー・ノーツでもギーゼキングは同時代の著名なピアニスト達がバッハのオリジナル・ピースよりも、リストやブゾーニによって大幅に手が加えられた編曲物を好んで演奏していたことに批判的だ。
彼は既にそれらが本筋から逸れた際物でしかないことを見抜いている。
そこではバッハをピアノで弾くための秘訣が語られているが、それが現在バッハ演奏の基本的な奏法として定着していることをみても、彼が如何にバッハの作品の再現に先見の明を持っていたかが理解できる。
当時はその後に校訂される正規の原典版がまだなかった時代なので、細部での音符や装飾音の相違が聴かれるが、それらは当然許容範囲とすべきだろう。
彼は表現上の感情移入についてもかなりの抑制を要求しているし、チェンバロには存在しない保音ペダル使用についても極めて限定的に考えていて、声部を保つためには指で鍵盤を押さえ続けることが基本であることを説いている。
このセットに収録された作品集の総てが1950年の放送用音源だが、こうした演奏活動がその直後の1952年のロザリン・テューレックの平均律全曲録音にも繋がっていくし、グレン・グールドの登場によってバッハのチェンバロ用作品のピアノ演奏は不動の地位を獲得したと言えるだろう。
グールドはテューレックから影響を受けたとされるが、これら一連のギーゼキングの録音を聴いていたことが想像されるし、実際多くの部分でそう思える箇所が指摘し得る。
ギーゼキングの演奏はそうしたパイオニア的な意味を持つだけでなく、現在の私達が鑑賞しても全く古臭さを感じさせない現代的センスが示されている。
イギリス組曲及びフランス組曲の12曲を含んでいないのが残念だが、それらに関しては音源が残されていないのだろう。
音質は時代相応といったところで格別優れたものでないことは断わっておく必要があるが、破綻はなくリマスタリング効果もあって鑑賞に不都合はない。
36ページのライナー・ノーツには既に紹介したギーゼキング自身が1949年に書いた『コンサート・グランドによるバッハの表現』と題された興味深いエッセイが掲載されている。
尚最後にボーナス・トラックとしてフルトヴェングラー指揮、ベルリン・フィルとの協演になる1942年のライヴでシューマンのピアノ協奏曲が収録されている。
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