2018年02月03日
小品への傑出した解釈、フルトヴェングラー・ロマン派オーケストラル・ワーク集
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昨年の暮れにプラガ・ディジタルスからリリースされた3種類のフルトヴェングラー・ハイブリッドSACDシリーズの1枚で、ロマン派の作曲家の交響詩や管弦楽用小品を6曲収録している。
オーケストラはブラームスのみがベルリン・フィル、その他はウィーン・フィルとの協演になり、戦後楽壇に復帰したフルトヴェングラー最後のピリオドを飾る演奏集としては比較的小規模の作品を集めているのが特徴だ。
いずれも放送用ライヴ音源らしく客席からの雑音は一切なく、音質自体もこの時代の録音としては期待していた以上のサウンドが再生可能になっている。
初出音源ではないのでこうしたリマスタリング盤で先ず問われるのは音質だが、全体的に鮮明でモノラルながら楽器ごとの分離状態も悪くない。
尚プラガでは電気的に音場を拡げた擬似ステレオ・マスターを積極的に使っているが、鑑賞での違和感はなく曲によっては臨場感を高めることに成功しているので、個人的にはそれなりに意味のある処理だと肯定的に考えている。
いずれの作品にもフルトヴェングラーのオリジナリティーが横溢していて、古典派の音楽では彼の自在なテンポ感覚が批判の対象にもなるが、これらのロマン派の作品では考え抜かれた音楽設計やその傑出したセンスが正当化されているように思う。
1954年の交響詩『前奏曲』におけるフルトヴェングラーは、感情の振幅を可能な限り大きくとりながら、曲想をどこまでもどこまでも追求し続けて行き、そこには妥協めいたものなど、一切入り込むことができない。
彼の姿勢は驚くほど徹底していて、その結果『前奏曲』という作品が途轍もなくスケール雄大に再現されており、それがもつ意味合いといったものも比類なく深い。
他の指揮者の棒で聴く『前奏曲』とは、まるで違った曲のように把握され、再現されている。
まさしくフルトヴェングラーの独壇場と言っていいだろうし、他の指揮者では、とてもこうはいかない。
ウィーン・フィルの持ち味も、ここでは最大限効果を発揮している。
一方、一番古い1949年の『ジークフリートの牧歌』は従来盤と比較して格段と音質が良くなり、実際驚かされる。
フルトヴェングラーというと、極めて劇的で重厚な表現をする指揮者のように思われているが、こうしたほのぼのとした作品を指揮させても、実にうまい。
この巨匠ならではのニュアンスの豊かな、彫りの深い演奏で、ひとつひとつのフレーズの扱いにも、よく神経が行き届いている。
ウィーン・フィル自慢の弦楽のシルキー・トーンや当時の首席ゴットフリート・フォン・フライベルクだと思うが独壇場のウィンナー・ホルンのソロには思わず聴き入ってしまう。
ブラームスのハイドンの主題による変奏曲はベルリン・フィルで、シンフォニックなオーケストレーションを発展させたスケール感の大きさは殆んど交響曲のようだ。
冒頭のテーマがやや暗く全体に粘っこい演奏だが、それでいて全曲を通じてこの曲に特有な世俗的な雰囲気を失っていない。
特に終曲は他のどの録音よりも壮大で、どの音にもフルトヴェングラーの個性があふれている。
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