2018年08月11日
ルネサンスのプレリュード、ヨーロッパにおける諸学復興の黎明
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
ルネサンスと言えば日本では文芸復興と訳されて、フィレンツェ、メディチ家が私財を投じて設立したアカデミアでの当時の最高の知識人達による古典を基礎とした学術の探求に象徴されているが、温故知新に則った忘れ去られた過去の優れた文化の模索は既に12世紀には芽生えていたという著者の見解をかなり詳細な考察で明らかにして、それまでの暗黒の中世という既成概念を覆している。
またその前段階に遡るシャルル・マーニュ大帝フランク王国宮廷でのギリシャ、ラテン語による古代作品の蒐集翻訳が始まる、いわゆるカロリング・ルネサンスの啓蒙活動にも触れていて、その後大学が初めて創設されるのがまさに12世紀だとしているが、いずれにしても中世の7つのリベラル・アーツ、つまり文法、修辞法、論理学、算術、幾何学、天文学及び音楽を習得することができたのは修道僧や聖職者で、著者自身219ページで学問を必要とする公職は総て彼らの独占物だったと述べている。
その後に開花する世俗の人々を巻き込んだ異教を大幅に許容した文芸復興には、大商人の興隆と地方を結ぶネットワークによる経済活動の飛躍的向上やグーテンベルクの活版印刷などが更に拍車をかけたことが想像される。
一方科学や医学の面ではその頃ヨーロッパより遥かに優位だったアラビアを経由した東方の文化の伝播が重要な項目として挙げられている。
サラセン人には地中海全域を荒らしまわった海賊集団というイメージがあるが、実際にはそれを可能にするだけの天文学や航海術の裏付けがあったことは間違いないだろうし、自然科学、医学や数学、特に現在世界中に普及しているアラビア数字や計算法などは彼らからの恩恵だ。
著者は私達が日頃何気なく使っているバザー、タリフ、シュガー、コットンなどの語源がアラビア語であることも指摘している。
12世紀の文芸復興の兆しは明らかだがその歩みは緩慢であくまで文学中心で、しかも地方に点在する文化の興隆は単発的で、後の時代の超人的な天才達も未だその姿を現すには至っていない。
彼らが手本とした古典自体が異教徒によって生み出されたものであることから、それを受け入れる教会との軋轢も必然的に生じる。
知の源泉が教会から俗世界に流れ波及したこととは裏腹に、カトリック教会の異端審判と科学者達との確執が、その後も長く続くことになったのは皮肉な現象だ。
文学についでユスティニアヌスのローマ法の復活とその学習について書かれているが、後の時代に役人や官僚になるための最短コースは法学を学ぶことで、その地盤は12世紀にできつつあったことが理解できる。
本書の前半は12世紀を中心とする、地道な羊皮紙への筆写活動が語られていて、それほど魅力的で読ませる文章とは言えないが、当時まだ印刷機のなかった時代に、こうした古典書物の普及にはひたすら手作業の筆写が欠かせなかったことを思い知らされる。
ここでは実際の作品を多数掲載して、読者の鑑賞にも役立つように構成されている。
勿論訳者2人の非常に念入りで分かり易い日本語訳を通してその薫り高い文学に接することができるが、ラテン語韻文のリズムは併録された原文で検証できる。
また中世は風刺とパロディー全盛期の時代で、主としてカトリック教会が槍玉にあがっている。
これはあからさまな蓄財によって権勢をほしいままにしていたローマ教皇への遊歴書生からの隠れた抵抗として説明されている。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。