2018年09月26日
ヨッフムのグラモフォン音源第2集、オペラ及び声楽曲の38枚
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第1集のオーケストラル・ワークに続くオイゲン・ヨッフムのドイツ・グラモフォンへのコンプリート・レコーディングの完結編で、宗教曲や声楽曲の他に5曲のオペラが加わっている。
1902年に生まれ、87年に世を去ったドイツの名指揮者ヨッフムは、父親は音楽家、兄は作曲家兼合唱指揮者、オルガニスト、弟も指揮者という、豊かな音楽的背景をもつ家庭で育った。
ライナー・ノーツを読むとヨッフムの父親が南ドイツの小さな街バーベンハウゼンの教育者であり、また教会でのミサや劇場運営に携わっていて、敬虔なカトリック信者だったヨッフム自身も教会オルガニストとして少年時代を送ったようだ。
しかし夜になると劇場では父の企画によるオペラやオペレッタが上演されたので、オーケストラル・ワークと声楽曲のみならず宗教と世俗というふたつの対照的なジャンルの音楽を同時に吸収していたことが、その後の彼の音楽観の形成にも色濃く影響していることは確実だ。
それはオルフの作品群に対する閃きと解釈にも反映されているし、またバッハへの読みの深さも一流で、ピリオド楽器を取り入れた颯爽としたテンポによるモダンな演奏形態も後のピリオド奏法のはしりと言えるだろう。
それは彼の前の時代の多くの指揮者達が陥ったバッハへの恣意的な感情移入した表現とは完全に別れを告げている。
一方ヨッフムのオペラへの真の開眼は学生時代に観たワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』だったようで、その後1953年に同曲の上演をバイロイト音楽祭で果たしているが、ワーグナーの息子で当時バイロイト祝祭劇場の演出家だったヴィーラント・ワーグナーとの演出上の対立から、71年に『パルジファル』で復帰を果たすまで、ほぼ20年に亘ってバイロイトからは締め出しを食ったというエピソードも興味深い。
ヨッフムは早くから指揮者として、ドイツ各地で旺盛な活動を展開、次第に頭角をあらわすようになっていった。
主な活躍ぶりだけをみても、ハンブルク国立歌劇場音楽監督、バイエルン放送交響楽団初代首席指揮者、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席常任指揮者、バンベルク交響楽団の常任指揮者など、まことに多彩だ。
更にヨッフムのヨーロッパ・クラシック界への重要な貢献に、創設されたバイエルン放送交響楽団のビルダーとして名門オーケストラに鍛え上げたことの他にも後見人としての力量を示したことも挙げられる。
コンセルトヘボウの首席ベイヌムが亡くなった時には慣例によってオランダ人のハイティンクが就任したが、まだ30代で経験の少なかった彼を補佐するためにヨッフムとの双頭体制が敷かれたし、カイルベルトが急逝したバンベルク交響楽団に芸術顧問として窮状を救っている。
その重厚で、真摯なドイツ音楽の演奏はわが国を含めて世界広くで多くのファンから愛聴された。
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