2019年01月19日
グールド、生涯に亘る対位法への傾倒
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スクリャービンのソナタでグールドが強調しているのはこの曲に内在する対位法で、この時期のスクリャービンの特徴でもあるロマン派爛熟期の残像を引き摺った曲想の中に複雑に操作されて絡み合う声部は、グールドにとっても格好の表現手段だったに違いない。
それだけに彼の演奏からは濃密なロマンティシズムは抑えられ、さりげない感傷とともに絶妙な旋律の交錯が聴き取れる。
彼の対位法への深い傾倒はバッハの膨大な録音や自作の作品からも明らかだが、彼の奏法はこの曲の新しい表現方法として現代のピアニスト達に先鞭をつけた示唆的な解釈でもある。
またプロコフィエフのソナタからは人間臭さを排除した無機的で超然とした思考が良く聴こえてくる。
聴衆を前にすることを嫌った彼ならではの独自の模索が既に成就した演奏だ。
彼は自ら制作したラジオ用ドキュメンタリーでも仄めかしているように、北方に対する憧れがあった。
公開演奏に限界を感じてコンサート活動から身を引いた孤高のピアニストではあったが意外に饒舌で、ある時彼の母親の祖父はノルウェイの作曲家グリーグの従兄弟だと言ったようだが、このセットに収められたグリーグのソナタもそうした親近感から採り上げたのかもしれない。
いずれにしても彼は開放的でともすれば個を失いがちな南よりも、瞑想の地であるべき北に憧憬を馳せた。
シベリウスのソナタもこうしたコンセプトによって選曲されたことが想像される。
3枚目の現代作曲家による一連の作品集もポリフォニックな魅力に富んでいるのが特徴で、注意深く聴いているとカノンやフーガが至るところに現れる。
グールドがバッハと並んで現代音楽のスペシャリストたりえたのは、こうした作曲技法の洗練が彼を惹き付けたからではないだろうか。
これらの作曲家によって頭脳的に構成された、旋律と音響の組み合わせが彼の際立った感性によって再現されるピアニズムが聴きどころだ。
グールドは幸いジュリアードSQらとシューマンの『ピアノ四重奏曲』を私達に遺してくれた。
それは彼のシューマンの唯一のレパートリーでもあり、また数少ないアンサンブルの記録としても貴重なセッションだ。
そこには綿密に計算された音楽的な設計が存在している。
グールドらしいクールな情熱に加えてここでもシューマンの対位法に対する執拗とも言える執着がある。
終楽章のフガートでは各声部を明瞭に感知させるジュリアードのメンバーとの怜悧な表現が秀逸だ。
ここにおけるピアニストと弦楽奏者らは、それぞれ別個のやり方で切っ先を鋭くしながら、曲想の核へと深く踏み込んでおり、たいそうスリリング。
そうした両者の複雑な絡み合いのなかにシューマンの音楽が少しも曖昧さもなく描き出されており、すばらしい。
このセットは4枚組で、比較的レアなレパートリーを集めたものとしての面白味があり、異質の感銘を受ける。
またライナー・ノーツは20ページでミヒャエル・シュテーゲマンの興味深い5つのエッセイが英語で掲載されている。
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