2019年02月23日
至高のブラームス像、ケンペ最晩年のブラームス全集
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ケンペ、ミュンヘン・フィルによるブラームスの交響曲全集は、1975年ステレオ録音で、ケンペ最晩年の代表的録音。
無用な気負いから解放され、作品の隅々にまで目を行き届かせた濃やかなアプローチが、ブラームスにふさわしい親密な音楽を作りあげることに成功した名演。
飾り気のないオケの響きも、昔のミュンヘン・フィルならではの自然体の良さが滲み出たもので、指揮者の解釈との相性も抜群、楽器配置も正統的なヴァイオリン両翼型を採用している。
率直で飾らぬ芸風の中に重厚な雰囲気を漂わせたスタイルが身上のケンペとはいえ、ここまで恣意性とは無縁でありながら、作品が本来そなえている自然な感興にナチュラルに寄り添った表現は、円熟期ならではのものなのかも知れない。
筆者がブラームスの第1番に初めて聴いたのがこのケンぺのLP盤であったが、決して派手さはないものの、北ヨーロッパならではの幾分くすんだ渋い色調の音色が印象的で、しばらくは愛聴していたと記憶する。
その後、様々な指揮者、例えば、カラヤンやベーム、更には時代を遡って、フルトヴェングラーやクレンペラー、トスカニーニなどの名演を聴くにつれて、それらの演奏があまりにも個性的であることもあり、ある意味では地味なケンぺ盤のことはすっかり忘れてしまっていた。
久々に接したが、渋くていぶし銀のケンぺならではのブラームスの音が聴こえてくるではないか。
ケンぺの演奏は決して華麗さなどとは無縁であるが、よく聴くと、渋い曲想の端々に感じられる滋味溢れる内容の豊かさにこそ、ケンぺ&ミュンヘン・フィルが見事に描き出した至高のブラームス像と言えるだろう。
ケンぺの演奏は、華麗さなどとは無縁であり、あくまでも真摯に楽曲を描いていくという職人肌の指揮が持ち味であるが、それによって生み出されるいぶし銀の味わいが、ブラームスの交響曲と見事に符合していると言えるのではないだろうか。
第3番は4つの交響曲中、最もスケールが小さく、等身大に表現してしまうと、こじんまりとした軽い演奏に陥ってしまう危険性があり、なかなかに演奏が難しい。
それ故に、呈示部の繰り返しを行ったりして、バランスをとる指揮者も一部にいるが、ケンぺはそのようなことはしない。
ケンぺのアプローチはあくまでも正攻法、それでいて、何と力強い作品だろうかと思わせるのはさすがというべきだろう。
同曲をブラームスの英雄と称する者もいるようだが、ケンぺの演奏を聴いているとそれもむべなるかなと思われる。
北ヨーロッパならではの幾分渋い色調の音色を出しつつ、重厚さにもいささかの不足もない。
第2楽章や第3楽章の抒情的な旋律の歌い方も実に感動的であり、この第3番は、ケンぺとしても会心の名演と評価してもいいだろう。
第1番や第3番も名演だが、第2番は、ケンぺの死の半年前の録音だけに、どこか澄み切った人生の諦観を感じさせる名演だと思う。
どこをとっても恣意的な表現がなく、音楽の美しさを自然体で表現しようという真摯な姿勢が功を奏していて、あまたのブラームスの第2番の中でも最も美しい名演の1つと言えるだろう。
このようなケンぺの職人肌の演奏は、渋いブラームスの交響曲との相性が抜群だと思うが、第4番は、ブラームスの交響曲の総決算と位置づけられる曲だけに、演奏が悪かろうはずがない。
ブラームスの第4番という傑作の魅力を、恣意的にではなく自然体の表現で満喫させてくれる名演ということができるだろう。
ハイドンの主題による変奏曲も、ゆったりとしたテンポの下、各変奏の描き分けを巧みに行っており、老匠ならではの円熟の至芸を感じさせる。
クレンペラー、フィルハーモニア管弦楽団によるベートーヴェンの交響曲全集は、1960年5月から6月にかけてのモノラル・ライヴ録音。
ウィーン芸術週間出演のため、手兵を率いてウィーンを訪れたクレンペラーは体調も絶好調だったようで、ベートーヴェンの連続演奏会を大成功に導いている。
クレンペラーのこの時のベートーヴェン・ツィクルスの成功は、リハーサル映像からも窺えるように、厳しい練習の果てにもたらされたものといえ、重要な要素については細かい音形でも徹底的に正確に再現するというフォルム重視の基本姿勢がよく表れている。
そのため、自由度の増す実演とはいっても、フォルムに破綻をきたすことはなく、実演ならではの音の勢いを吸収しながらも、堅牢で豊富な情報を完璧に示す稀有なベートーヴェン像が築かれている。
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