2019年02月14日

烈しい人生を戦い抜いてきたクレンペラーならではの宗教声楽曲集


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本セットはクレンペラーの録音した宗教声楽曲を集成した廉価盤で、バッハの『マタイ受難曲』、『ミサ曲ロ短調』、ヘンデルの『メサイア』、ベートーヴェンの『ミサ・ソレムニス』が収録されている。

筆者はこれらのCDが分売されていた頃から何度も聴き、宗教曲の素晴らしさに、身も心も酔いしれる思いを味わった。

『マタイ受難曲』では、ある女がイエスに香油を注ぎかけたというレチタティーヴォからアルトの悔恨のアリアに至るあたりや、「備えせよ」のバス・アリアから最後の大らかな合唱に入るあたりは、正直のところ、涙なくしては聴くことができなかった。

クレンペラーはこの受難の物語の中から、人間の普遍的な愛情の襞にまで入り込んで、すべての人物が人間の愚かしい行動を是認しなければならない苦しさを描き出していくが、これはクレンペラーならではの世界だろう。

全体に遅めのテンポ設定が主流をなしているが、彼にとってこのテンポは不可欠なものに違いない。

雄渾な音楽づくりの中にも、クレンペラーの老巧な棒さばきと、張りつめた緊張感とが身近に伝わってきて、テンポ設定ひとつにしても、やや遅めにとり、コラールも重厚に、コラールフェルマータも、様式からはみ出さない限度においてテヌートを加えるなど、細心の注意が行きわたっている。

1961年の録音だけにシュヴァルツコップもF=ディースカウの声もまだ瑞々しく、ルートヴィヒのアルトも沈痛だ。

『ミサ曲ロ短調』もクレンペラーらしい、いかにも悠揚迫らぬ骨格の太いバッハである。

クレンペラーの音楽の包容力の豊かさが各章に感じられ、その重量感はまさしく巨大な巨造建築を仰ぎみているようだし、バッハへの畏敬の念に満ち、まさに1960年代を代表するバッハの演奏様式というべきだろう。

このバッハはなによりも<人間の存在>が前面に押し出され。その人間は、神と対立するものではなく、神と共にある人間の大きさであり、これは烈しい人生を戦い抜いてきたクレンペラーの心境かもしれない。

この『ミサ曲ロ短調』において、彼の雄大な音の流れが聴く者をとらえてしまうのである。

独唱者たちもクレンペラーの意図を体現した隙のない好演で、合唱団の歌い込みも充分の手応えがある。

この演奏を聴くと、クレンペラーは病魔によって一時的に引退を余儀なくされた時間にも、彼は常に何かを身につけていたことが想定される。

そして、不死鳥のごとく復活した第2次大戦後には、まさに巨匠の道を歩いたのであった。

『メサイア』は全人間的、汎人間的といおうか、クレンペラーはベートーヴェン的処理法で演奏しており、この曲が重厚極まりないバロック的ロマン派音楽と化している。

ヘンデルのイメージは、ガーディナーあたりの活動によって近年すっかり塗り替えられてしまったが、伝統的な壮麗で力強いヘンデル像にも一半の真理を認めるとすれば、クレンペラーの『メサイア』は、その最右翼に置かれうる、ずっしりとした重みをもつ、堂々たる演奏である。

英国には19世紀以来の伝統的な『メサイア』の演奏様式があるが、英国で録音しながら、クレンペラーはオーケストラも合唱団も編成を縮小し、現代の様式に近づけている。

しかし、解釈はまぎれもなくクレンペラーの個性を反映してスケールが大きく、密度が濃い。

彼はテンポを遅めに設定して、明確なリズムとともに演奏に揺るぎない安定感と落ち着いた流れを与えている。

独唱も合唱もその流れに乗っているので、表情は豊かになり、エネルギーは充分に発散される。

クレンペラーの演奏で聴く《メサイア》は、まさしくヘンデルの音楽と人間のスケールの大きさと不屈の精神を実感させてくれる。

今日では、時代楽器による軽快な演奏がもてはやされているが、ヘンデルの在世当時にはより大きな編成で演奏されていたことを考えると、クレンペラーの堂々たる演奏は、精神においてヘンデルの演奏に一脈通じるものがあり、今日でも強い説得力を持っている。

絶頂期にあったシュヴァルツコップのソプラノが何とも魅力的だし、ホフマンのアルトも充実し、ゲッダのテノールもクレンペラーの棒によくついている。

『ミサ・ソレムニス』はクレンペラーの宗教合唱曲の中では最高の出来であり、おそらくベートーヴェンの内面的思考過程に最も近く寄り添っているのがクレンペラーの演奏と思われる。

クレンペラーの格調高く悠然とした表現のなかには、厳しさと雄大さと共に渋味溢れる独自の暖かさもが息づいている。

表面的には不器用さを感じさせることも否めないが、深い味わいを宿したスケールの大きい名演として注目される。

人生の辛酸を舐めつくしたクレンペラーならではの世界が、ゆるぎない人生観照の上に立って見事である。

クレンペラーの演奏には、ベートーヴェンの無限へのゆるぎない生命観と、絶対という神への畏れと祈りが、人間として持てるだけのすべての中で、滔々と音をたてて流れている。

クレンペラーのニュー・フィルハーモニア時代(1964年以降)の録音は特に出来不出来が激しく、散漫なものも含まれているように思うが、この『ミサ・ソレムニス』ではすべてが充実し、ピリリとした緊張と、迸るような生命力によって、全曲が運ばれている。

老巨匠は、この時よほどコンディションが良かったのだろう、クレンペラーの炎のようなベートーヴェンへの帰依は、雄大な精神への勝利といえよう。

ソリストもすべて第一級で、ことにヘフゲンが素晴らしく、コーラスも細部に至るまでクレンペラーの意志が行き届いている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:04コメント(0)クレンペラー  

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
メルマガ登録・解除
 

Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ