2019年05月08日

演劇=音楽的時間の持続のなかで「暴君」をどのように描くか、ロストロポーヴィチの《ボリス・ゴドノフ》


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



《ボリス・ゴドノフ》はムソルグスキーのオペラの最高傑作であるとともに、最もロシア的であるという点においては、ロシア・オペラの頂点にある作品と呼べるかもしれない。

ムソルグスキーの原典版以外にも、R=コルサコフによるふたつの版、イッポリトフ=イワーノフ版、ショスタコーヴィチ版などの異版も多く存在する。

かつては批判的に見られていたムソルグスキーのオリジナル版であったが、近年は、その評価が始まっている。

ロストロポーヴィチ盤は、作曲者の初稿と決定稿を集成したロイド・ジョーンズ校訂版による初録音(1987年)であり、原典に近づいたということで、オリジナルの姿を理解できるエディションとして、《ボリス・ゴドノフ》の標準版となった。

ロストロポーヴィチは鷹揚でありながら、細部まで目配りの効いた指揮で、この版の良さを伝えている。

ロストロポーヴィチ/ライモンディの《ボリス・ゴドノフ》はとても力強く、ほとんどライヴではこれほどの緊張感が持続できないのではないかというくらいに、その感触は最後まで変わらない。

ライモンディが熱演で、従来のバス歌手に比べて声も歌唱も断然明るく、一皮剥けた新鮮さがあり、ヴィシネフスカヤの1人2役も予想以上の好調ぶりだし、ゲッダの苦行僧もいい。

それでいて、ボリスという複雑なパーソナリティをライモンディはよく理解していて、この主人公は決して単純な暴君ではなく、英雄であり暴君、そして弱さと後ろめたさがぴったりとその裏に張り付いている。

カラヤンが振ったときの《ボリス》はあくまで英雄=暴君の悲劇を主軸に据えたものだったが、一方、クリュイタンスのはどうも今一つ全体的に覇気のない英雄=暴君であることによって、カラヤンにはない苦悩する人間ボリスを表わすのに、かえって、成功していた。

とはいえ、色々と「内面的」に葛藤している人間があくまで「君主」として人民の前では英雄=暴君を演じなければならない事態を、更に「演劇」として、オペラとしてここでは再現=表象しなくてはならないという難題が生じてくる。

そしてそれば見せ場=クライマックスを虚構するアリアでではなく、演劇=音楽的持続のなかでこそ表わさなければならない。

それは必ずしも歌手だけが引き受けることではなく、優れて指揮者がオーケストラに演じさせる役割をもつものだ。

ロストロポーヴィチもライモンディもどちらかと言えば淡々として音楽的持続を生み出しているのだが、そこには先にも述べたような力強さが終始あるのであり、それが秘められている、故意に噴出を抑えているところでこそ、ボリスのどうしようもなさ、幾重にも折りたたまれたパーソナリティの複雑さがひとつのかたちとなっているのだと言える。

ロストロポーヴィチ盤は、ポーランド出身の映画監督ズラウスキの同名の映画に使われており、ここでボリスを演じているのはライモンディそのひとである。

この映画=オペラにおける政治的・演劇的のコノテーションについては言及を差し控えるが、ロストロポーヴィチの淡々とした、しかしまた時としてロシア正教会の鐘の響きを思わせる華やかなオーケストラの響かせ方は、この映画にとってはなくてはならないものに思えるのだった。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:05コメント(0)ムソルグスキー | ロストロポーヴィチ 

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
メルマガ登録・解除
 

Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ