2019年09月01日
シューベルトの放浪、狂気のドラマにしては「甘口」だが、そこにこそ価値があるベーアの『冬の旅』
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旧東独ドレスデン出身、オラフ・ベーアの歌ったドイツ・リートの若き日の録音が次々と再発され、ここにシューベルトの『美しき水車小屋の娘』『冬の旅』が揃ったし、シューマンも幾つかある。
些か懐古的になるが、フィッシャー=ディースカウ以来のリートの新星誕生と騒がれていたベーアは1990年初頭に日本にやって来て、『冬の旅』を歌ったので、この国のリートファンや声楽家のかなり多くが会場に足を運んだ。
筆者もその一人であったが、率直に言わせてもらうならば、結果は期待ほどではなかった。
日によってばらつきがあったし、全体の印象も、共演者のピアニスト、ジェフリー・パーソンズ(リート解釈では定評がある)に支えられて全曲を乗り切ったという感じで、かなり不安定な部分があった。
1989年のセッションではどうかと聴いてみたが、誤解を恐れずに言えば、日本だけでなくドイツでも、若者は随分心優しくなってきたのだな、というのが正直な感想だ。
この曲は、第1曲「おやすみ」から最後の「辻音楽師」まで、恋を失った若者の放浪から狂気に至る過程を、雪と歩行のイメージを伴って描いていく。
歌詞がそうなっているということ以上に、ピアノパートの音型にこれがよく現われているのだが、ベーアの歌う『冬の旅』は、そういう風にはきこえない。
31歳のベーアによる『冬の旅』は、もっと自己耽溺的で、第1曲「おやすみ」から長く辛い旅が始まるのではなく、ここでいきなり回想の歌を歌ってしまう。
そのため「菩提樹」の性格が曖昧になってしまったし「あふれる涙」での過度の弱声(第2節 ・ Wenn 以下)もちょっと異様にきこえるし、er の発音もやや不統一だ。
しかし色々あるとはいえ、この『冬の旅』は悪くなく、何よりも美声で歌われているし、それに、聴き終わってしばらく、絶望の淵をさまよって来たかのような感慨に捕らわれないのがいい。
後半尻すぼみになる感じはあるものの、これとて計算の上かもしれない。
かつてベーアは日本で過度に期待されたために「それ程でもないじゃないか」と言われてしまったが、フィッシャー=ディースカウの再来などという捉え方さえしなければ、バリトン歌手としてはこれからが声に深みが増す年齢である。
ここで彼は初めから絶望や狂気を歌おうとはしていない、むしろそこにこのディスクの価値を見るべきだろう。
蛇足になるが、筆者の大好きなプライは「甘い」と言われ続けたが、1990年の来日時には、実に厳しいシューマンやシューベルトを歌っていった。
歌は世につれ、とはシューベルトの再現にも当てはまるのだろうか。
併録の『美しき水車小屋の娘』は、歴代の名歌手たちのような達者で時に饒舌とも思えるような歌唱とは一味違う、誠実で献身的な心を歌い、ひたむきで一途な男の魅力が充ち満ちている。
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