2020年03月15日

「今ここ」の瞬間の豊饒さに魅了されるルプーの美、シューベルトのピアノ・アルバム


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シューベルトのピアノ曲は、ここ20年間くらいの間に、演奏スタイルがかなり変わり、かつてのE・フィッシャーやケンプやゼルキンの、あの地味だが落ち着いた、じみじみとした味わいに比べると、最近のシューベルトは随分劇的で、スリリングで、時にはエキサイティングに聴こえる。

この傾向はきっと細部まで彫り込むように深読みをするブレンデルが大きな役割を果たしたのだろうが、だからと言ってブレンデル流がシューベルト演奏のスタンダードになったというわけではないことだ。

その後ピリスや内田光子が病的なまでに傷つきやすいシューベルトの魂を表現したが、ベートーヴェンやショパンなどに比べて、シューベルトには「こう弾かなければならぬ」という感じがずっと少ない。

人それぞれ、多様な可能性が許されていて、事実リヒテル、ポリーニ、ペライアといったピアニストたちが、まるで、自分の姿を映す鏡のように、それぞれのシューベルト世界を創り上げている。

そのようなシューベルト演奏のひとつの白眉が、ルーマニア出身のユダヤ系ピアニスト、ルプーの弾くソナタ第18番『幻想』ではなかろうか。

シューベルト中期の最後を飾るこの曲は、1曲のなかに様々なな魅力的な楽想が散りばめられ、しかもそれらががっちり〈原因/結果〉の糸で結ばれていないという、最もシューベルトらしいソナタ。

これをルプーは、力技で全体をがっちりまとめ上げるのではなく、まさに「神は細部に宿る」という言葉そのままに、すべての瞬間が〈美〉であるように弾いていて、感銘深い。

少し細めだが艶と透明感のある音色、淀みない音楽の流れ、決して力むことのない自然でたおやかな抑揚、ふつふつと湧き出るような喜ばしさ……。

とりわけ感銘深いのは、ルプーは音を厚ぼったく創らないために、音のテクスチュアの網目が隅々まで見通し良く響き、旋律だけでなく、伴奏音形から経過的なパッセージまですべての声部が、それぞれ生き生き躍動している様子が、手に取るように聴こえることだ。

その結果、曲全体の論理やドラマではなく、次々と立ち現れる「今ここ」の瞬間の豊饒さが、聴く者を魅了して、興味の尽きることがない。

しかも「力技」の印象がないので、音楽は軽やかに繊細で、ある喜ばしさに満ちている。

第2楽章の洗練された瑞々しさや、第4楽章の上品で生き生きとした躍動感も比類がないが、特にルプーらしいのは第1楽章で、遅めのテンポで楽想をじっくり歌わせており、スケールの大きなおおらかさを感じさせる。

一見とりとめないこの楽章をストーリー・テラーに構成するのではなく、推移や経過句のひとつひとつが、それぞれ幸福の由来であるように弾いていくやり方は、まさに今日的な(脱・近代的な)演奏と言いたい。

かつてルプーを宣伝するキャッチフレーズとして、よく「千人に一人のリリシスト」などということが言われていたが、彼の演奏を実際に耳にしてみると、とてもそういった言葉だけでは表わしきれない幅の大きな演奏家であることが分かる。

確かにその豊かな叙情性は一際抜きん出ているし、その音色の美しさも天下一品であるが、それを特徴づけるには、それ以外の要素が並外れて充実していることが不可欠であろう。

このシューベルトのアルバムでは、端正なピアニズムから生まれる彼の傑出した叙情的性質と、それを支える明確な造形感といった様々な要素が、まさに渾然一体となって実に見事なシューベルト像をくっきりと描き出している。

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classicalmusic at 12:01コメント(0)シューベルト | ルプー 

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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