2019年05月15日
新ヴィーン楽派管弦楽作品のイメージを一挙に刷新したカラヤン&ベルリン・フィル絶頂期の至芸
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カラヤンが1970年代前半に録音した『新ヴィーン楽派管弦楽曲集』は、全てカラヤンによる唯一のセッションで、各作品のイメージを一挙に刷新した演奏は、センセーショナルな趣があった。
これを機に、それまで現代音楽という枠の中に閉じ込められていた同作品群が、一般のコンサートやレコードのプログラムとして市民権を得、普及していったように思われる。
一種の市場開放の原動力となった、いわくつきのアルバムと言っても過言ではないだろう。
カラヤンにとってやや異色のレパートリーとも言えるこのアルバムは、彼が60歳代の半ばに、ベルリン・フィルの超高性能を総動員してレコーディングしたもの。
1972年から1974年にかけて行なわれた録音は、カラヤンにとっても絶好の時期を選んでのものと考えられる。
シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンの不協和音や楽想をどのように処理するのかという疑念など杞憂であるかのように、演奏の完成度は高く、しかも美しい。
ある意味でポピュラー名曲とは対極にある20世紀(主として)作品を前に、こういうものだって完璧にできるのだという得意顔が目に浮かびそうだ。
ともあれ彼の演奏リストに、最高の完成度をもって加わることで、新ヴィーン楽派の音楽をにわかに古典のごとく錯覚させてしまうあたりがカラヤンの凄いところ。
何と言っても、カラヤンの美学がここでも徹頭徹尾貫かれているのが魅力で、ベルリン・フィルの潜在的な能力を導き出し、尚且つ今まで聴いたことのないような音響世界を創造していく。
アンサンブルは一糸の乱れもなく精緻に整えられ、細部まで透けて見えるがごとく鮮明な造型で描出される。
そして音楽の底流に流れるリリシズムを表層まで吸い上げ、満面に行き渡らせる。
こうしたカラヤンの完璧主義と美意識によって、同作品群のイメージはリフレッシュされたのである。
単に分析的に演奏するのではなく、個々の音楽のもつ、時代の香りをも明らかにして、陰影に富んだ演奏をきかせている。
濃厚なロマンティシズムを湛えた後期ロマン派風のシェーンベルクの《ペレアスとメリザンド》や《浄夜》など、甘美なリリシズムのしたたり落ちるような場面がことのほか美しい。
これらの作品でシェーンベルクを身近に引き寄せたかと思うと、ベルクのドラマティックな大作《管弦楽のための3つの小品》や《抒情組曲からの3つの楽章》では、白熱した演奏で有無を言わせず固有の世界に引きずり込んでしまう。
圧巻はヴェーベルンで、これほど美しく鳴り響くヴェーベルンは未だになく、《パッサカリア》の情熱、そして《交響曲》の深淵さ等々、筆舌に尽くし難い。
その中でも、本格的な十二音技法によるヴェーベルンの《交響曲》は、カラヤンの真価を見極める恰好の試金石と目されよう。
彼は、いわゆる現代音楽を専門とする演奏家とは全く違ったイメージに同作品を塗り替えてしまったからだ。
音色を艶やかに磨き、テクスチュアを清廉に立ち上がらせ、叙情的な雰囲気さえ漂わせる。
この演奏によって同作品が身近な存在になったことは疑いない。
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