2019年07月20日
20世紀の名作、小澤の初期名盤、メシアンのトゥーランガリラ交響曲
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最初の出会いが運命を決定づけることがある。
筆者が大学1年の時に中古CDショップで見つけたのがこのメシアンの《トゥーランガリラ交響曲》だった。
2枚組のCDで、メシアンの大作に、残りの1曲が今から思えば絶妙なるカップリングであるが、《ノヴェンバー・ステップス》を始めとする武満徹作品集だった。
武満作品は1967年11月9日に小澤征爾指揮ニューヨーク・フィルの定期演奏会で世界初演され、小澤征爾は引き続き自らが音楽ポストにあったカナダのトロントでもカナダ初演を行ない、さらに《トゥーランガリラ交響曲》のカナダ初演も行なっている。
こうした事情から、これら2つの20世紀の名作が同時にレコーディングされることになったらしい。
明らかに作品の規模としてはメシアンが大きく、演奏時間も80分近いが、ライナーノーツの解説の大半が武満徹の話題作に費やされていたのも今から振り返ると懐かしい。
当時としては、作品も演奏も、それだけの歴史的快挙だったのである。
当然に《ノヴェンバー・ステップス》も衝撃的だったが、《トゥーランガリラ交響曲》はその型破りな音響と色彩感、錯綜するリズムと旋律が織りなす迷宮のような神秘性、気怠るくなるような流れの美しさ、そして金属的な響きが作り出す喧噪的陶酔感に打ちのめされてしまった。
否、度肝を抜かれたと言った方が正しいのかもしれない。
トゥーランガリラとは梵語であり、トゥーランガは流れる時、リラとは遊びを意味し、それは究極のところ愛の歌、生と死の賛歌に通じるとのことだが、1949年バーンスタインの指揮で初演された20世紀の交響曲の大作であることは論を俟たない。
小澤征爾の指揮は触発する美しさと前進してやまないエネルギー感に満ち溢れており、百花繚乱の音響の坩堝を嬉々として泳ぎ回り、走り、飛び跳ねて爽快この上ない。
全体は10の楽章からなるが、作品は音楽だけが持ち得る呪術的力に満ち溢れており、求心力と遠心力が同時に作用し合ったかのような境地に誘われ、不安なのか、安心してよいのかわからなくなってくるほどである。
音楽は媚薬、否、それ以上に魔物であることを教えられた瞬間である。
CDの解説書は黛敏郎氏のエッセイが添えられていたが、それには、メシアンの音楽には展開というものがなく、旋律の断片と音型とをこれでもかこれでもかと積み上げ、積み上げてはガラガラッと崩し、また組み立て直す、そんな音楽であるとあった。
さらに氏は、そんなメシアン作品は手の内を知ると辟易してくるが、はまると大変で、たまらなく魅力的になる、とも記されていた。
しかもそのエッセイにはタイトルがあり、「天国的退屈さ」とあって、さすがに作曲者が看破する作品の本質か、と恐れ入った記憶がある。
音楽はどこまで進化していくのか、オーケストラはどこまで巨大になっていくのか、その成果に浸らせる今なお鮮度溢れる演奏であり、また素晴らしい交響曲である。
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