2019年07月31日

晩年に奇跡的復活を遂げたミケランジェリ、巨匠のピアニズムはモーツァルトの音楽へどのような橋を架けたか


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1970年代末、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの復活というのは一つの事件という感じがした。

そしてミケランジェリのピアニズムのもつ硬質な輝きと美しさは、この録音で聴く限りいささかも損なわれていない。

ミケランジェリとコード・ガーベン、この異色の顔合わせが生み出す演奏もまた異色である。

所謂モーツァルト風の様式とはかなり違っているが、これは主としてミケランジェリのモーツァルトの音楽に対する考え方から生じたもので、その響きは恐ろしいほど緻密で強い余韻を作っている。

ガーベンもミケランジェリの解釈を全面的に支持し、北ドイツ放送交響楽団を実に美しく響かせ、ソリスト、指揮者、オーケストラの熱意をひとつの目的に凝集させ、強い緊張感に裏づけられた演奏を生み出している。

ここでミケランジェリは一歩退いてモーツァルトの音楽の敬虔な使徒たらんとしているように思える。

そしてミケランジェリが考えているモーツァルトは、ギャラントな要素や愉悦の要素といったものを剥ぎ取られたモーツァルト、すなわち音楽をできるだけ純化された「ひびき」の透明性の中に結晶化させようとしながら、一方でそうした音楽の結晶度の高さによっても掬い切れないメランコリーのたゆたいや激情をアンビヴァレントな形で(しかも音楽といささかの矛盾もなく)露呈させてしまうようなモーツァルトである。

一言で言えば、「冥いモーツァルト」である。

それは、最近のモーツァルトのイメージからすればやや古風な、刺激の乏しいモーツァルトに聴こえるかも知れないが、ここでミケランジェリが表現している世界は生半可なものではない。

ミケランジェリはよく粒の揃った硬質なタッチで、しかも「ひびき」の世界を100パーセント音化するというよりも、抑制された表現の中で余白、余韻を残しながら「冥いモーツァルト」の核心にある音楽に結晶した「感情的な」要素を、極めて格調高く表現する。

そしてそれは、このまま一歩踏み出せば途方もない「悲劇」が始まるかも知れないという予感に、かろうじて「ひびき」の均衡を通じて耐えているかのようなモーツァルトの「短調」作品に驚くほどマッチしていると言えよう。

指揮のガーベンがミケランジェリの意を挺してオーケストラの響きにミケランジェリのピアニズムとの同質性を与えている点も、コンチェルト(競争)の要素はその分減じているとは言え、見逃せない。

ミケランジェリのピアニズムは、彼に先行する世代、例えばホロヴィッツやルービンシュタインらのものとは大きく異なっている。

ピアノ技術の体系と音楽の論理の固有性の間にどのような橋を架けるのか、というところに自らの課題を見出した。

そして彼は、ピアニズムそのものの技術的純化を音楽の結晶度の高さにそのまま添加させ、ピアニズムと音楽の間の空隙を埋めるという方向を選択したのである。

この選択の意味の大きさを戦後ピアニズムの歴史の中で考えてみる必要がある。

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classicalmusic at 13:01コメント(0)モーツァルト | ミケランジェリ 

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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