2019年09月04日
辛辣だが痛快な筆致、モンタネッリの描くルネサンス
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イタリアのジャーナリスト、モンタネッリとジェルヴァーゾの共著による『ルネサンスの歴史』文庫版の上巻になり、ルネサンス黎明期のイタリア小国家同士の紛争と教皇庁対神聖ローマ帝国、そして領土拡張を狙う近隣諸国の四つ巴の確執やヨーロッパを波状攻撃で襲うペストの流行の中で何故ルネサンスが起こったかが前半に説明されている。
そのひとつの理由として著者はイタリアには国家統一構想の観念も気運もなく、それぞれの領主がそのエネルギーを宮廷文化に注ぐことができたからだとしている。
一見独断と偏見に満ちた解説のようだが、実はそこに事実を見極める冷徹な眼がある。
例えば教皇庁の以夷制夷はお家芸とこき下ろす。
つまり敵対する国には他国を戦わせて自己の保身を図り、常に風見鶏的な政策を取って権威と利権にしがみつくだけの存在に堕していた。
そして歴代のローマ教皇の失態とそれに続くアヴィニョン捕囚への歴史が暴きだされている。
ルネサンス黎明期を担った文豪としてイタリア語という俗語で高度な詩のスタイルを完成させたダンテ、俗語によるヨーロッパ初の小説を書いたボッカチオ、そしてラテン文学の健在を示しながら実はイタリア語の達人だったペトラルカを詳細に解説しているが、ダンテは文人であるより先ず政治家であり、生涯政治闘争に巻き込まれ翻弄された。
そこにはまた大商人の興隆が無視できない。
モンタネッリは近代的商人の鏡としてフィレンツェのフランチェスコ・ダティーニの章を設けている。
彼は如何に多くの利潤を引き出し、損失を出さないかを徹底した記録と統計によって取り引きした。
勿論そこに天才的な勘を働かせていたことも事実だろう。
政治には全く関与しなかったので、相手が見方であろうが敵であろうが武器を売って一大財産を築き上げた完璧な商人気質だった。
彼より更に老獪だったのが銀行家コジモ・デ・メディチだ。
彼は金銭の力を誰よりも信じていたし、世の中に金で動かないものはないという哲学を持っていたが、またそれを使う術も熟知していた。コジモは驚くべき寛容さで画家、彫刻家、建築家を起用してフィレンツェ共和国を飾り、私設のアカデミーを創設してヨーロッパ最高の知識人を集めたサークルを開いた。
潔い性格でも知られていて、ライバルのアルビッツィ家の陰謀で国家反逆罪の逮捕状が出た時、コジモは逃げも隠れもせず死刑を覚悟で出頭した。
ただし裁判官に金を送って死刑は十年の流刑に減刑され、更にそれは一年に短縮された。
彼がフィレンツェに返り咲いた時には庶民から凱旋将軍のように受け入れられたという。
常に庶民を味方に付けるのもメディチ家のストラテジーだ。
ここではまた建築家ブルネッレスキ、彫刻家ドナテッロそして画家マサッチョなどが説明されている。
コジモから直接人生訓を受け継いだのが孫のロレンツォで、彼は教皇領イモラを強引に統合したことで教皇シクトゥス四世の恨みを買い、教皇にそそのかされた宿敵パッツィ家の謀反によって弟ジュリアーノを殺されただけでなく、教皇庁とナポリ王国から宣戦布告を受けるが、果敢にもロレンツォは単身ナポリに乗り込んでフェルディナンド王との直談判によって和平協定を結ぶという離れ技をやってのける。
メディチ家の治世に真っ向から反対の説教を繰り返したドメニコ派の僧サヴォナローラには常に寛容の態度を示し、死の床にあってサヴォナローラを呼び寄せ告解をして世を去った。
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