2019年09月11日
時代が人を生むのか、人が時代を創るのか、ルネサンスの終焉
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下巻ではイタリア・ルネサンスが生んだ綺羅星のような多くのアーティスト達の活躍が詳述されているにも拘らず、その時代のイタリアの政治的あるいは文化的な凋落がまざまざと明らかにされている。
先ずルネサンス発祥の地とも言えるフィレンツェから次々に有能な職人が離れていく。
高階秀爾氏の『フィレンツェ』によればロレンツォ・デ・メディチの外交政策によって彼らがイタリア各地に派遣されるが、職人たちは祖国に帰らなかった。
条件の良い土地で働くことを望んだのだが、その理由のひとつにサヴォナローラの事実上のフィレンツェ共和国統治にあるだろう。
サヴォナローラについては本書第2章が捧げられている。
『虚栄の焼却』によって貴重な芸術作品の多くがシニョリーア広場で焼き尽くされた。
こうして人間的な自由で開放的な芸術活動は一切否定されることになる。
彼の息の詰まるような行き過ぎた政策は反感を買うが、ついに彼は教皇アレクサンデル六世への痛烈な批判によって『虚栄の焼却』と同じ場所で火炙りの刑で処刑された。
サヴォナローラが登場したのはメディチ家の牽引した高い文化と同時に享楽社会の絶頂期にあった。
その意味ではこのドメニコ派の僧侶も時代の子と言えるのではないか。
第69章はミケランジェロで、彼はルネサンスから次の時代に芸術活動を切り拓いた巨星だが、彼も少年時代にメディチ家の当主ロレンツォ・イル・マニーフィコとの偶然の出逢いがなければその驚異的な才能を開花できただろうか。
ロレンツォはミケランジェロの才能に驚き、彼をメディチ家に招いて食住を共にさせ教育させる。
当時最高の知識人から受けたあらゆる教養がミケランジェロの作品に滲み出ていることは明らかだ。
教皇ユリウス二世とは腐れ縁で、喧嘩ばかりしていたが何故か最も重要な仕事の幾つか成し遂げている。
彼のオーダーで描いたシスティーナ礼拝堂の天井画はミケランジェロ処女作のフレスコ画だった。
完成直後にダ・ヴィンチが法王庁にやってきて二年間の滞在をしているが、この時期ローマはまたラファエッロ全盛期で、膨大な仕事を請け負って代表作を生み出していた。
こうした切磋琢磨ができたのはやはり時代の成せる偶然だったのだろうか。
この頃がヨーロッパにとってもイタリアが最も輝かしい芸術の都であり、しかし一方で斜陽が射し始めていた時期だった。
ドイツ・ルネサンスの担い手、デューラーも二度のイタリア旅行でジョヴァンニ・ベッリーニなどから多くの影響を受けている。
第68章では斜陽のイタリアと題して16世紀末のイタリアがヨーロッパの文化の主導権から離れていった実情が説明されている。
実質上イタリアには宗教改革は及ばなかったために個人の権利義務の意識も稀薄だったとしている。
国内にスペインの覇権が確立しても大きな抵抗はなかった。
著者はローマ教皇庁の反宗教改革が勝利する中で、イタリア人の気骨は失われ、そのために彼らのサーヴィス業に対する適正がこの頃から顕在化したとしている。
現在のイタリア人が世界最良の給仕であり、ドアボーイであり、また世界最良の靴磨きなのは四百年前から始まったと皮肉を込めて書いているが、これは少し言い過ぎかもしれない。
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