2019年07月15日

心理的な描写が面目躍如たる演奏、フィッシャー=ディースカウ若き日のマーラー歌曲集


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フィッシャー=ディースカウが録音した作品は、シューベルト、シューマン、ヴォルフなどの歌曲全集をはじめ膨大な数にのぼるし、また第一線での活動時期が長かったこともあって、何回も録音している曲もある。

そうした中にあっても、この演奏は彼の最高の演奏の1つに数えられる。

1曲めの『さすらう若人の歌』では、マーラー特有のデカダンス的な雰囲気とただならぬ緊張感が漂っているという意味では1951年のウィーン・フィルとのライヴが優っているが、音質の面ではスタジオ録音の当1952年盤をお薦めする。

どちらも20代だったフィッシャー=ディースカウの絶唱が堪能できる演奏で、51年の破綻寸前のはげしい慟哭の迸るライヴに対して、このスタジオ録音は内容と形式、声とオケとが完璧なバランスを得て模範的な演奏を示し、歌曲録音史上の金字塔の1つに数えられる。

フィッシャー=ディースカウなんと27歳の時に、青春の溌剌とした息吹きや、言い知れぬ深い挫折の詠唱が他の誰にも増して秀逸だ。

フィッシャー=ディースカウとフルトヴェングラーは、1951年のザルツブルク音楽祭で『さすらう若人の歌』で共演した。

フルトヴェングラーは、フィッシャー=ディースカウの自己投入のはげしい歌いぶりに触発され、敬遠気味のマーラーを見直すきっかけを得たほどだった。

フルトヴェングラーがフィッシャー=ディースカウに「君のおかげでマーラーをようやく理解できるようになった」と言ったのは有名だが、優れた演奏家が互いに触発されて生まれた稀有の名演の記録であり、今なお最高の演奏でもある。

翌年フィッシャー=ディースカウとともに『トリスタンとイゾルデ』を録音した折、セッションが余ったので、それを利用して『さすらう若人の歌』を録音しようと指揮者自ら申し出た。

フルトヴェングラー指揮するフィルハーモニア管弦楽団は、後の時代のより洗練された緻密な響きではないにしても、指揮者のロマン性とマーラーの病的なまでに凝った音楽性を恐ろしいほど反映させている。

フィッシャー=ディースカウはフルトヴェングラーの薫陶を受けた後、この曲を彼の最も得意とするレパートリーに加えて、その後もライヴやセッションでしばしば採り上げ、そうした録音も少なからず残されている。

それぞれに優れた演奏であると同時に、年齢とともに表現の移り変わりも感じられるが、中でも1969年のラファエル・クーベリック指揮、バイエルン放送交響楽団との協演が彼の壮年期の頂点をなすものだろう。

しかしその中にあっても、これは単に若かりし頃のフィッシャー=ディースカウの歴史的名盤の域をはるかに越えた芸術品だし、フルトヴェングラー指揮の管弦楽部の表現と見事に一体化している。

2曲めの『亡き子を偲ぶ歌』は当初からバリトン・ソロとオーケストラを想定して書かれた作品だが『さすらう若人の歌』と同様音域が非常に広く、歌唱技術的にも困難であるばかりでなく、幼い娘を失った父親の内面的な屈折した悲しみという特殊な表現を要求されることからバリトン歌手による録音はそれほど多くない。

ここでのルドルフ・ケンペ指揮、ベルリン・フィルとのセッションは、フィッシャー=ディースカウが極めた精緻な心理描写が面目躍如たる演奏で、この曲の代表盤と言ってもいいだろう。

尚女声で歌われたものとしてはコントラルトのキャスリーン・フェリアーを迎えたブルーノ・ワルター指揮、ウィーン・フィルの1949年盤が質の高い演奏としてお薦めできる。

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classicalmusic at 00:08コメント(0)F=ディースカウ | マーラー 

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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