2019年05月28日

指揮者=アシュケナージがピアニストとしての経験からオーケストラとピアニストを導く名演


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ソリスト、指揮者、オーケストラすべてが初顔合わせながら、驚くほど雰囲気豊かで白熱した演奏だ。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の第1楽章からガヴリーロフの音は明快、爽快で若々しく、鮮やかなテクニックは現代的ピアニズムの極致をみせる。

アシュケナージはひとつひとつのフレーズに細やかな表情を与え、ベルリン・フィルもその解釈に見事に対応している。

ある楽器のヴィルトゥオーゾがいつの間にか指揮にも手をそめ、そのうちには指揮者としての名声が不動のものとなった例を我々はすぐにいくつか思い浮かべることができる。

ヴラディーミル・アシュケナージもそのうちのひとりだ。

指揮者としてのキャリアは、はじめのうちから必ずしも芳しいものではなかったと記憶しているが、このごろはそれほどでもない。

そう、ピアノとオーケストラの作品を、あるいはかつてソリストとして演奏したこともあるかもしれない作品を、今度はソロの側でなく、あくまでそれと競演する立場から指揮をする、というのはアシュケナージの場合、どんな気分でいるのだろうか。

それもここでとりあげるのは、泰西名曲の最たるチャイコフスキーのピアノ協奏曲なのだ。

ソリストとして、一体それだけ演奏しているかわからない作品を今度は違う側からアプローチをする、ということ。

だからこのCDを聴く面白さは、ソリストのガヴリーロフのことよりも、全体としてアシュケナージがどう全体をまとめているかにある。

自分がソリストとしてこの作品を演奏したときに技術的・心理的にオーケストラがここでこういう風になってくれたらよかったのに、ということも多々あったと思うのだ。

それを、実際に自分が指揮台に立ったとき、自らの体験を踏まえてやってみる、というのがアシュケナージの意図としてはあったのではなかったか。

もちろん、この曲のイメージというのはかなりはっきりとかたまっているから一瞬一瞬が新鮮に響くなどということは期待できないし、事実ない。

だが、部分的にこんなところをこんなテンポでやってみる、とか、ほかにもいろいろなニュアンスなどにも気をつかっているのがときとして耳新しくないこともないが、それ以上にここでのオーケストラの扱いはアシュケナージがソリストにとってのすべてを知ったうえで「指揮」をしている。

かつてソリストとして期待していたものが果たされずそれを「いま=ここ」にいるソリストに対して報いているように響くのだ。

ガヴリーロフはこの大曲にちりばめてある甘美なメロディを歌うことにこそ専念しており、また、カデンツァでも音の大きさや速弾きよりは音色のコントロールに重きを置いている。

だから、チャイコフスキーのピアノ協奏曲のもっている、作品そのもののもっている良さを聴き取るためならば、ためらわずにガヴリーロフ/アシュケナージ盤を択ぶべきである。

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classicalmusic at 03:01コメント(0)チャイコフスキー | アシュケナージ 

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Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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