2019年06月12日
西側から母国に向けて言いたいことのたくさんあるアシュケナージのショスタコーヴィチ:交響曲全集
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アシュケナージは紆余曲折の末、ショスタコーヴィチの交響曲全集を完成させ、世に問うている。
やはり全集録音を行ったネーメ・ヤルヴィ、ロストロポーヴィチなどを含めて、旧ソ連からの亡命者によるショスタコーヴィチ演奏には、何か共通のパトス、場合によっては怨念みたいなものが感じられる。
もっとも、アシュケナージは、すでに母国への里帰りを果たし、サンクトペテルブルク・フィルもこの全集に加わっている。
「ヴォルコフの証言」以後(証言それ自体の真偽のほどはさておいて)、ショスタコーヴィチの、特に「交響曲」を演奏する場合は、作曲者の体制下での葛藤をどう表現するかに注目が集まるようになった。
もちろん「ショスタコーヴィチの作中での体制賛美は、逆説的」というヴォルコフ認識は、証言の真偽によらず、大いにありえると思う。
しかし、アシュケナージのスタンスには、そのような「囚われ」がなく、純音楽的アプローチに徹していて、政治的な色が薄くなり、それが筆者には好ましい。
元来センスがいいのだし、それだけで音楽を作った割り切りは潔いが、指揮者としてのアシュケナージには、筆者としてもまだよく判らないことが多い。
音楽家としての彼は、多分曲によっては、言いたいこと、訴えたいことがたくさんあるのだろう。
ソヴィエト=ロシア音楽のある部分がそれで、そういう作品を指揮する時の彼は、棒のテクニックがといった次元の話を突き抜けてしまう。
中でも、超難曲の『第4』が最上の出来で、これは初演者コンドラシンによる1966年の録音を除けば、ロジェストヴェンスキー、ハイティンクを上回る緊張感と、抜群の構成感を持った演奏だった。
第5番、第8番、第10番ではサウンドのバランスがよく、急速部の足並みのよさが印象的だ。
ロイヤル・フィルの金管の音色がいつもより柔らかめなのがユニークで、それが音の彩に馴染んでいる。
サンクトペテルブルク・フィルとの録音となった第7番と第11番ではオーケストラの音色自体が抜群で、しかも必要以上の恰幅を求めないスマートさがよく、いわゆる「現代的」ショスタコーヴィチだ。
第1番、第6番、それにバルシャイの編曲による室内交響曲(原曲は弦楽四重奏曲第8番)や祝典序曲も好演、部分的にソフトフォーカス気味なサウンドを交えるあたりが巧みで、聴き心地がよい。
アシュケナージのアプローチは西欧風に洗練されていると言ってもいいし、やや焦点が不明瞭と批判することもできる。
ただ、この時期にきて、ショスタコーヴィチ演奏に様々なヴァリエーションが出てきたのは歓迎だし、アシュケナージは遠くから母なるロシアを見ているように思う。
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