2019年10月16日
ポリーニ、フルトヴェングラーの薫陶を受けたイタリア弦楽四重奏団とのブラームス:ピアノ五重奏曲
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1979年にミュンヘンのヘラクレス・ザールで行われたセッションで、イタリア弦楽四重奏団の屈託のない明るい音色にポリーニの輝かしいピアノが加わった異色のブラームスだ。
しかしアンサンブルとして高度に鍛え抜かれたある種の厳しさを持ち合わせていて、音楽的に非常に充実していることは勿論だし、ポリーニ初の、そしてともすると最後になるかも知れない室内楽の貴重なサンプルとも言える。
彼のアンサンブルの一員としての存在感は圧倒的で、さながらピアノ協奏曲の様相を呈しているが、それがこの曲への決定的なアプローチになっている。
また第2楽章での奥の深いカンタービレの美しさも彼らならではの表現だろう。
全体的な印象は色彩感に充たされた開放的な、しかしピアノ・パートを恐ろしく精緻に再現したブラームスと言える。
尚この録音の時にはヴィオラ奏者のピエロ・ファルッリは病気のため、ディーノ・アショッラに代わっている。
音質は極めて良好。
イタリア弦楽四重奏団が、この曲に本格的に取り組み始めたのは1951年のザルツブルク音楽祭への参加がきっかけとなっている。
この時ヴェルディの『オテロ』を指揮したフルトヴェングラーは自分の宿泊していたホテルに彼らを招待し、自らピアノを弾きながら助言を与え2回に亘って通し稽古を行った。
その夜は更にベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲についてもレッスンが続いたようだ。
それはこうした作曲家の作品の解釈にも、また彼らの将来の演奏活動にとっても多大な影響を及ぼした経験だった。
一方ポリーニがイタリア弦楽四重奏団の演奏を初めて聴いたのは1954年で、ボルツァーノのブゾーニ・フェスティヴァルでの出会いだった。
ポリーニは当時まだ12歳だったが、この時彼らが演奏したドビュッシーの弦楽四重奏曲を、殆んど奇跡のような体験だったとインタビューで語っている。
そして彼らのアンサンブルが実現したのは1974年のことになる。
このドイツ・グラモフォンへの録音の1年後に彼らは解散してしまうので、まさに飛ぶ鳥も落とす勢いだったポリーニと、イタリア弦楽四重奏団が最後の輝きを放った歴史的なセッションでもある。
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