2019年05月31日
白眉はバルトーク、ゼルキン全盛期のピアノ協奏曲集
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ルドルフ・ゼルキン(1903-91)が彼の円熟期の至芸を披露した4曲のピアノ協奏曲を収録した2枚で、ブラームスの2曲はゼルキンがそれまでに4回行ったセッションの最後の録音になる。
それだけに虚勢や名技主義からは一線を画した、あくまでもブラームスの音楽の懐に深く入り込むような真摯な演奏が、彼の到達した境地を感じさせる。
華麗ではないかも知れないが、元来朴訥であり高揚と沈潜を繰り返す作曲家の複雑な心理状態を反映し得る高みに達している。
勿論聴かせどころでは思い切ったピアニズムを謳歌しているが全体的にオーケストラとも良く溶け合い、そのシンフォニックな魅力では他に類を見ないほど調和に富んだ協奏曲に仕上がっている。
オーケストレーションに心血を注いだブラームスの協奏曲では願ってもない再現だが、それはゼルキンが若い頃からブッシュ・トリオの一員としてアンサンブル・ピアニストのキャリアを積んで、常に他の奏者とのコラボで音楽を創り上げていく姿勢があったからだろう。
ゼルキンは20世紀の音楽も得意にしていたが、その素晴らしいサンプルがプロコフィエフとバルトークの2曲で、前者はヴィトゲンシュタインのために書かれた左手のための協奏曲になる。
このセッションで彼が右手を補助的に使ったかどうかは知る由もないが、老獪なテクニックと若々しさもさることながら、一貫して熱い情熱と集中力を感じさせる演奏だ。
一方バルトークは4曲中の白眉で、近年シャープに洗練されているがドライな解釈が多い中で、骨太な野趣が強力な推進力になっている稀な演奏で、終楽章クライマックスでのゼルキンの冴え渡った超絶技巧は圧倒的だ。
ハンガリー出身のセルが本領を発揮した手堅いサポートも聴きどころだろう。
プロコフィエフの音質はやや時代がかっているが、その他は1960年代の初期ステレオ録音としては及第点で、マスターの保存状態から考えれば妥当なリマスタリングだろう。
ブラームス第2番では、第3楽章のチェロとオーボエのソロは音像が近過ぎてオーケストラから自然に聞こえてくるサウンドではないが、こうしたバランスのとり方とミキシングは当時一般的だったので致し方ない。
バルトークはヒス・ノイズが聞こえるがバランス的にはむしろ良好で、コロンビア交響楽団のパーカッション・セクションが大活躍するピアノとの掛け合いも鮮明に収録されていて、本来の意味での臨場感が得られている。
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