2019年06月09日

奇跡的復活を遂げたアバド、演奏家も感動の原点に立ち戻った名演、感動の質を問うマーラー


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イタリアの名指揮者クラウディオ・アバド(1933-2014)は21世紀に入って大病を患い、生死の狭間をさまよった。

だが、奇跡的復活を遂げ、ベルリン・フィルの音楽監督としての職務も2002年には完全に全うし、晩年はフリーな立場で自身の音楽活動をさらに掘り下げ、その成果を披露していた。

そんなアバドが新たなる意欲と情熱をもって取り組んだのが、スイスのルツェルン祝祭管弦楽団の再編・再生であった。

第2次大戦以前、ヒットラーに追われた音楽家たちを中心にトスカニーニが組織した歴史を持つこのオーケストラは長らく音楽祭の母胎として栄光の歴史を築き上げてきた。

しかし、20世紀半ば以降になると本来の意味を失ってしまった。

アバドはこの歴史的オーケストラを21世紀に生まれ変わらせようと世界の演奏家たちに声をかけたが、なんとベルリン・フィルの首席、元首席奏者はもとより、クラリネットのマイアー、チャロのグードマンら世界的ソリストたちが結集した。

結果的にスーパーワールド・オーケストラとでも言うべき陣容を整えることになった。

2003年8月、マーラーの交響曲第2番《復活》をもってアバドはこのオーケストラの指揮をスタートさせた。

そしてここで鑑賞するマーラーの交響曲集は確かに21世紀を象徴する意味を持つ演奏としてその姿を顕したと言ってよいだろう。

そこには若き日から機会あるごとにこれらの交響曲を採り上げてきたアバドの熟成の歩みが凝縮されると同時に、演奏家がまるで1人の無垢な聴き手となって音楽に奉仕する、そんな新次元の演奏を作り出したように思われてならない。

演奏家が聴き手になってしまったのでは演奏は成立しない。

それは百も承知だが、そうではなく、感動的作品を前にしたときの想いには聴き手も演奏家も区別はないということである。

つまり演奏家も感動する原点に立ち戻って作品の最良の再現に努める、そんな演奏なのである。

「19世紀は作曲家の時代」「20世紀は名演奏家の時代」と仮に考えると、「21世紀は聴き手の時代」ということになろうか。

だがそれは聴き手が主役になるといった意味ではないだろう。

音楽家も含めて、聴き手が本来持つべき作品への無垢な姿勢と謙虚さとを持ちながら作品に立ち向かう時代ということではないか。

アバドの新しいマーラーの交響曲集が与える感動は、演奏家もまた聴き手の精神を持つべき時代が来つつあることを予感させる。

指揮者道を歩み続けてきたアバドが見せ始めた未来の演奏の時代、この演奏から何かが変わっていく予感がする。

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classicalmusic at 00:27コメント(0)マーラー | アバド 

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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