2019年06月15日
最先端をいくオーケストラの機能性、機動力の凄まじさを見せつけた記念碑的演奏、待望のSACD化
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ショルティ(1912-97)は20世紀後半のオーケストラ音楽を機能美という点から究め尽くしたマエストロであった。
作品が何であれ、ショルティには鳴り響くべきサウンドの理想というものがあり、それは情緒や詩情の表出以前に、機能美という観点からまず達成されなくてはならなかった。
そのためには最先端のテクニックを持つオーケストラが必要であったが、1969年にショルティはシカゴ交響楽団の音楽監督に就任することで、いよいよ彼の時代を作り出すことができたのである。
バイエルン州立歌劇場、フランクフルト市立歌劇場、ロイヤル・オペラとオペラハウスの音楽監督を歴任してきた背景を持つショルティではあったが、シカゴ交響楽団への就任は思えば、ようやく57歳にして彼が初めて手にしたコンサート・オーケストラのポストであった。
既にウィーン・フィルとの《ニーベルングの指環》をはじめ、ブルックナーやベートーヴェンの名演を聴かせてきていたショルティではあるが、第1弾のデビュー録音をマーラーの《交響曲第5番》としてニューコンビの顔見せを行なった。
それは1970年3月のことで、同時に《交響曲第6番》も録音されたが、この《第5番》こそはマーラー演奏史に新しい時代が来たことを告げるともに、現代のオーケストラが持ち得る機能性、機動力の凄まじさというものを見せつけた画期的事件となった。
マーラーの交響曲とは、なるほどこれほど輝かしく、ドラマティックな刺激と甘美な誘惑に満ち、その破格の表現の振幅に聴き手が鼓舞され、打ちのめされ、狂喜してしまう、そんな世界であったことを初めて教えられたのである。
各セクションの鳴りっぷりの良さも驚異的で、トランペットのハーセス、ホルンのクレヴェンジャー、トロンボーンのフリードマン、テューバのジェイコブスといったアメリカ屈指の名手たちが集まったブラス・セクションの充実ぶりはまさに破格であった。
それが世界の最先端を走っていたデッカの超優秀録音で収録されたのだから、全66分が瞬く間に過ぎ去り、興奮も冷めやらぬうちに再生するというリスニングが続いたものである。
ショルティのシカゴ時代も1991年には終わり、97年には他界、いつしか録音から半世紀もの歳月が経過しようとしているが、この名盤への愛着はますます大きくなるばかりである。
優雅、洗練にはいささかも傾かず、感触は今なおごつごつとして、直線的だが、ショルティはこれでいいのである。
あの鋭い眼で世界をキッと見据えて、俺の音楽はこうだ!と宣言していく演奏、その潔い責任の取り方と情熱の化身となることを怖れなかったショルティの素晴らしさが凝縮しているマーラーである。
マーラー・ルネサンスを告げた歴史的名盤であり、オーケストラの表現力を頂点にまで究めたショルティの至芸が、今回SACD化で望み得る最高音質で蘇る。
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