2019年06月17日
批評家の役割
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文庫本化された吉田秀和氏の文章をまとめて読むことによって、音楽批評家の役割について改めて考えさせられた。
批評家の仕事は自己の感動や思い入れをできる限り平易な言葉、あるいは文章で表現し、対象となる楽曲のあるべき姿を一般の人々に伝え、鑑賞者を啓蒙することにあると思う。
彼はその能力においてひときわ優れている。
しかし吉田氏のような批評家でも自分の考えていることを文章にできないもどかしさもはっきり表明している。
それが芸術の持つ特性であり、筆舌に尽くしがたいという形容を素直に認めていた真摯で正直な人でもあった。
また彼は読者に決して自分の意見を強制しなかった。
音楽を鑑賞する一人ひとりはそれぞれ異なった感性を持っていて、それはさまざまな音楽を聴き、経験を積むことによって洗練されることはあっても、統一することは不可能だからだ。
それがまた幅広い音楽の選択肢を供給し、私たちを勧誘する喜びでもあるわけだ。
しかしだからといって批評家は最大公約数的な発言をすることは許されない。
吉田氏は批評の力量に優れているだけでなく、そのバランスということにかけて絶妙だ。
彼の洞察は非常に鋭く、演奏者全体の姿を見極めた上でなければその人の音楽を評価しない。
どんな天才が現れても、その人が将来どのような努力を課せられるか、そしてどういう方向に向かうべきかを見定めなければ気が済まないし、手放しで賞賛するようなことはしない。
また彼らの欠点も逐一見逃さないし、それを書くことにもやぶさかでない。
レコード会社から金を貰って、売り出し中のアーティストを誉めそやす文章などは書かなかったし、またできもしなかったに違いない。
そうした厳しい姿勢も自ずと文章に滲み出ている。
それだけに彼の批評は常に人間的であり、しかも極めて信頼性が高い。
それが多くの人の賛同を得ている理由でもあるだろう。
筆者自身彼の遺した批評を貴重な資料として高く評価している。
鑑賞の経験が豊かになればなるほど、自然に彼の言葉に共感し、その批評を抵抗なく受け入れられるようになるというのが筆者自身の体験だ。
この本に登場する指揮者の多くは既に他界しているが、彼らの芸術が現在でも生き続けているのと同様に、吉田氏の評価が次の世代への示唆として受け継がれることを期待したい。
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